探し人。探しておられるのは… | とある働き人の聖書のお話

とある働き人の聖書のお話

東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

最近は電柱がなくなってきているので見かけませんが、昔はよく電柱に様々な張り紙を見かけたものです。

 

そんな中こんなポスターがありました。

「犬を探しています」

一見どこにでもあるような感じのポスターだったのですが、何と飼い主さんが、この犬を見つけてくれた人に10万円の謝礼を出す、というのです。すごい話ですね。

よっぽどこの犬を愛していたのか、価値ある犬だったのでしょう。

でも、その情報には、老犬であることや耳がもう聞こえないなどと書かれていました。

 

でも、冷静に考えると、耳も聞こえず、何の役にも立たなそうに感じる老犬のために10万円持っ帰るなど普通に考えたらあり得ないと思いませんか。

でも、飼い主はこの犬を愛していたのです。たとえ年を取っていようが、耳がもう聞こえなくなっていようが、そのいなくなった犬を見つけるためにはお金など惜しんでられなかったのです。

 

それと同様に、「父なる」神様は、ご自分の元から離れていった人間、私たちを、あなたを愛しておられます。

 

聖書にあるのですが、こんな話をイエス様はされました。

 

    
「あなたがたのうちに羊を百匹持っている人がいて、そのうちの一匹をなくしたら、その人は九十九匹を野原に残して、いなくなった一匹を見つけるまで捜し歩かないでしょうか。見つけたら、大喜びでその羊をかついで、帰って来て、友だちや近所の人たちを呼び集め、『いなくなった羊を見つけましたから、いっしょに喜んでください』と言うでしょう。あなたがたに言いますが、それと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、悔い改める必要のない九十九人の正しい人にまさる喜びが天にあるのです。」
(ルカによる福音書15章4-7節)

 

 

神様から離れてしまった私たち人間は、あの耳の聞こえなくなった老犬のように、何の役にも立たない存在でしたが、神様はなおも私たちを愛してくださり、迷子になっている私たちを、あなたを探しておられるのです。そして事実、私たちがいつでも神様のところに立ち返ることができるように、とてつもない代価を払うことによって、道を備えて下さりました。父なる神様は、その一人子イエス様をこの世に遣わしてくださり、十字架に架けられたのです。イエス様は十字架で全人類の罪を背負い、身代わりに罪の罰を受け、ご自身の尊い血潮を流し、死んでくださったのです。

 

このいのちにあってあなたは神様のもとに帰ることができた。あなたはこれだけ愛されています。

 

今日、あなたを探している人がいる。いや神様がいる。いや御子イエス様のいのちをさえ惜しまず与える方がいる、その方があなたの内に愛を現したいと帰ってくるのを待っている。