究極のデザイナー:ある子供の疑問。神様の肌の色は? | とある働き人の聖書のお話

とある働き人の聖書のお話

東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

神様の肌の色は?

ある小さな子供がお母さんに一つの疑問を投げかけました。

この答えがあまりに素晴らしかったので分かち合いますね。

 

このお母さんは、ずいぶん昔になりますが、ポーランドの保守的なユダヤ人の家に生まれました。彼女は2歳の時に両親と共にアメリカに移住、やがて黒人(私はあまり、黒人だの白人だのと分けるのは好きではないのですが、原文がそう書かれているので)の牧師と知り合い結婚することになりました。

 

しかし彼女の両親は、相手がクリスチャンであり、また黒人であることから猛反対にあい、両親から縁を切られる…それでも意志を貫きとおし、彼と結婚するのでした。その痛みは本当に辛い、両親から死んだように扱われ、縁を切られ。それでも彼女は幸せな家庭を築き、12人の子供に恵まれました。

 

そんな中、黒人の父と白人の母を持つ子供たちはある日、自分は何者なのだろう?お父さんのように肌は黒くもなく白くも無く…と疑問を持ち、ある日一人の子供がお母さんに尋ねました。

「お母さん、僕は黒人なの?それとも白人なの?」

お母さんは答えました。

    
「あまたは、黒人でもなければ、白人でもない。あなたは人間なんだ。とにかく一生懸命に勉強して、立派な人間になりなさい。」

そこで子供は再び、母親に質問をぶつけました。

「お母さん、神様の肌は何色?」

母親はしばらく考えてから、言いました。

 

    
「神様の肌はね、ちょうど水のように、
色がないの。」

 

なるほど!!と納得しますね。

このお母さんが言うように、神様の肌はまさに水のようです。白人でもなければ黒人でもない、黄色人種でもない。すべての人を同じように愛され、また平等に扱ってくださります。

 

聖書にはこうあります。

    
「ユダヤ人もギリシャ人もなく、奴隷も自由人もなく、男子も女子もありません。なぜなら、あなたがたはみな。キリスト・イエスにあって、1つだからです。」
(ガラテヤ人への手紙3章28節)

 

私たち人間はとかく自分の出で、学歴、経歴を重んじたり、誇ったり、優越感を持ちたがります。でもこのプライドは多くの問題を引き起こします。

 

そもそも私たちは神様の前にみな罪人(神様を神様とせず、神様から離れていること、これが罪)、しかしこの私たちを神様は、愛され、身代わりに十字架にかかられ死なれた。この十字架の前に私たちなど優越感もへったくれもありません。

 

そしてこのイエス様のいのちにあって私たちは新しくされたのです。

あなたは何者なのか?そのあなたの罪を神様は一度イエス様の地によって塗りつぶされ、白くされ、新しくイエス様の御心にあって造り替える、養われ、覆われ、導かれていくのです。

 

私たちが神様色に染められていくのです。愛で、御心で。

あなたの周りも、そのあなたを通して塗り替えられていく。今のこの状況も。この神様にゆだねていきたいものですね。あなたの明日にもイエス様は一緒にいるし、明日を創られ導かれる、この神様に信頼しようではありませんか。