繰り返される教会への警告! | とある働き人の聖書のお話

とある働き人の聖書のお話

東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

ずいぶん前、「ありのままの~」的な歌、映画の中で歌われていましたが、

「ありのまま」って聞こえはいいんですけど、怖いんですよね。

そのままでいい、ってもし問題があった時そのまま放置していいの?

 

「ありのままでいい」なんて聖書にはどこにも書いていないんですよね、神様は言っていないんですよね。

むしろ神様は私たちが罪の束縛から解き放たれる、悔い改める、

本物のいのちを受ける事、イエス様の救いを受け、これに生きる事を願われ、

御子イエス様のいのちまで惜しまず与えてくださった、

そこまでされたのに、私たちはどうして神様から離れていられましょうか。

 

神様があなたに与えてくださっている本物の恵みを求めずにどうしましょう。

神様がイエス様のいのちによって洗い流して下さるそのいのち、

そこにどれだけの神様の愛が込められているのか。

 

サタンの惑わし、偽物ではなく、

イエス様にあって与えらえている本物を、本物の神様の御心を求めようではありませんか。

神さまには無理、自分は自分、ではなく、神様の最善がなることを祈りつつ…

 

という事で、今日は日曜日ですのでいつものようにしろくま先生の礼拝メッセージをシェアさせていただきます。よければ聴いてくださいm(__)m

 

Ⅱペテロの手紙2章18-19節

「繰り返される教会への警告」