罪の奴隷 | とある働き人の聖書のお話

とある働き人の聖書のお話

東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

私たちの周りには様々なものが取り巻いています。

そしてその影響をどこかで受ける…

ただそれらに支配されてどうしたらいいのだろう…

それはいのちではなく死に向かわせる。

 

私も今回の話は耳の痛い話ではあるのですが、

私たちはでもそうしたものの支配下、奴隷であってはいけない。

私たちは神様の支配と言いますか、奴隷、といいますか神様にあって私たちは生かされている、神様の魂、御子イエス様のいのちを持ってまで救い出されたその愛が今日私たちに注がれ、私たちの内に満ち溢れさせようと神様はされている。

 

私たちはそれなのに神様をはじき出している場合ではありませんね。

「悔い改め」から始まるいのち、イエス様にある救いと自由。

神様がここにどれだけのものを用意されているのか。

 

あなたの重荷を神様に委ねる、おろし、

神様の恵みに今日生かされ、歩もうではありませんか。

 

という事で今日は日曜日ですので、いつものようにしろくま先生の礼拝メッセージをシェアさせていただきます。よければ聴いてくださいm(__)m

 

ヨハネによる福音書8章33-40節

「罪の奴隷」