顔に墨のついたまま外を歩くのは、なるほど恥ずかしいことかもしれない。しかしわたしは、心に墨がついたまま、平気で歩き回っている。いったいどちらが恥ずかしいことなのだろう。
ーあさっての風(三浦綾子さん)ー
顔に墨がついているのは、おそらく鏡を見れば気づくだろうし、人に言われば気づいて落とすでしょう。でも、心の墨はあることに気づきません。それが良いのか悪いのかわからずに、ただそれが良いのか悪いのか黙ってみているだけ、状態になってとんでもないことになる、自分自身も苦しくなるだけです。
でも、神様はあなたの墨を洗い聖めて下さります。つらいところがあるなら神様に相談したって良い、祈ったって良い、神様が痛みも悲しみも、罪も、すべてご存知で洗い流して下さります。
そして永久の義の道に導いてくださるのです。
私たちは神様の導かれる、恥ではない、命の道に歩ませていただこうではありませんか。
「神よ。私を探り、私の心を知ってください。私を調べ、私の思い煩いを知ってください。私のうちに傷のついた道があるか、ないかを見て、私をとこしえの道に導いてください。」
詩篇139篇23−24節
