墨がついたまま歩くの?(三浦綾子さん) | とある働き人の聖書のお話

とある働き人の聖書のお話

東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

顔に墨のついたまま外を歩くのは、なるほど恥ずかしいことかもしれない。しかしわたしは、心に墨がついたまま、平気で歩き回っている。いったいどちらが恥ずかしいことなのだろう。

ーあさっての風(三浦綾子さん)ー

 

顔に墨がついているのは、おそらく鏡を見れば気づくだろうし、人に言われば気づいて落とすでしょう。でも、心の墨はあることに気づきません。それが良いのか悪いのかわからずに、ただそれが良いのか悪いのか黙ってみているだけ、状態になってとんでもないことになる、自分自身も苦しくなるだけです。

 

でも、神様はあなたの墨を洗い聖めて下さります。つらいところがあるなら神様に相談したって良い、祈ったって良い、神様が痛みも悲しみも、罪も、すべてご存知で洗い流して下さります。

そして永久の義の道に導いてくださるのです。

私たちは神様の導かれる、恥ではない、命の道に歩ませていただこうではありませんか。

 

「神よ。私を探り、私の心を知ってください。私を調べ、私の思い煩いを知ってください。私のうちに傷のついた道があるか、ないかを見て、私をとこしえの道に導いてください。」

詩篇139篇23−24節