なんでも屋…ではない | とある働き人の聖書のお話

とある働き人の聖書のお話

東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

人は過信し、自分は何でもできるんだ、と考えます。

まあ、そういう人に限って失敗するんですけど。

 

でも神様は、私たちにいつも必要を与え、助け、養おうとあなたに見てを伸ばされていることを忘れないで。

 

荒野の泉Ⅱ(カウフマン夫人著)よりそんな記事を引用します。

 

モーセとイスラエルの人々が紅海を渡ったことは、非常にすばらしく奇跡的ではありますが、それ自体は偉大な業績ではありません。荒野の旅で驚くことは、乾いた不毛の砂漠で、およそ三百万の人が四十年にわたって命を保たれた事実です。この不可能に近いような所で生きながらえたのは、人間の手段によったのではありませんでした。

 

モーセとイスラエルの人たちが、自分たちの生きていくことがどんなに困難を伴うものであったかを知る、いくつかの事実を見てみましょう。

 

まず、一晩のうちに紅海を渡るには、5千人が並んで歩いていくとしても、少なくとも5キロの幅が必要でした。もし、二列縦隊で歩いたら、128キロの長さになり、渡り切るには35日間もかかったでしょう。一日の旅の終わりに彼らが宿営するためには、ロードス島の三分の一の広さが必要だったでしょう。これは合計すると1940平方キロに相当します。ただ消費するだけの食物の総計ですから、自然の食物が全くない所を旅行したことを考えると驚きです。餓死をまぬがれるために必要な食物だけで一日1.500トンになります。私たちの食べ方でいえば、彼らを養うためには少なくとも4千トン必要です。それを運ぶだけで貨物列車が2台必要で、それぞれの列車は2キロの長さになるでしょう。今日(1950年頃)のお金に換算すれば、一日に4万ドルになります。毎日、ほんのわずかずつ飲んだり、皿を洗ったりする水の量はどのくらいか考えてみてください。毎日、50万リットルの水が必要だったと計算されています。水を得るための莫大な仕事の量を考えてください。タンクを積んだ貨車が300キロの長さに相当します。

 

ところで、モーセが、人々の命を保証するためにいくら必要かを計算したかどうか知りませんが、神はその必要額をご存じでした。もし、神がモーセに自分の前にあるいやな仕事についてちょっとでもほのめかしたら、彼は、偉大な奴隷解放者になることを躊躇したことでしょう。モーセはその土地とその季節、広さなどをよく知っていたものと思われますが、必要なものを実際に供給したのは神であって、モーセではありません。モーセと群衆に必要なものは、毎日続けて与えられました。神は一度に一日分だけ備えてくださいます。彼らは食物や水を持ち運ばなくともよかったのです。神は彼らの面倒をちゃんと見てくださいました。しかも、1万4.500日にもわたってです。