柔らかな言葉は憤りをしずめる(自分も含め)ます。
多分これは逆のことで体験されることがあるかもしれませんね。
ただそれは我慢する、というわけではなく、神様の前に柔らかく謙遜になることなんです。
謙遜に祈る時神様が私たちをしずめ、休ませて下さります。
神様に祈って何になる?ではなく、神様はその慈しみによって、驚くべき何かをなして下さります。私たちはこれに大いに期待しようではありませんか。
「神様の知恵では、謙遜はプライド以上の価値があります。
愛は、受けるに値しない哀れみと慈しみによって、その価値を表します。」