あの鐘を鳴らしたのは…誰? | とある働き人の聖書のお話

とある働き人の聖書のお話

東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

大草原の小さな家って知っていますか?

その中でこんな話がありました。

 

舞台は19世紀のアメリカ西部の開拓された小さな田舎町です。そこに小さな教会がありました。人口も少ない小さな町なので、ウイークデイは子どもたちの学校にもなっていました。

 

ある日曜日の礼拝が終わった時、牧師が一つの提案をしました。それは教会の入り口に鐘を付けたらどうかということでした。教会に集まっている人たちは喜んで提案を受け入れました。

 

すると、その教会に雑貨屋を営んでいる婦人がいるのですが、ご婦人が、「じゃ、私が全額寄付します。」と言ったのです。隣町に負けないような立派な鐘を付けましょうと言うのです。しかし夫人は「その代わり、私が寄付をしたというプレートを下に付けてください」言いました。

 

しかし、その発言で教会真っ二つに割れてしまいました。せっかく寄付してくれるというんだから助かるじゃないかという人と、いや、教会にそんな寄付した人の名前を刻むなんて滅相もないという人の意見で、喧々諤々となってしまったのです。その結果、教会が半分くらいになってしまいました。牧師はその責任を感じて辞任することになってしまいました。

 

そんな中一つの出来事が起こります。その教会にジョーンズさんという話すことができない障がいを持っている方がいましたが、彼はその話を聞くと村中の子どもたちを集め、家の中にある鉄製のものを持ってくるようにと言いました。もちろん、話すことができないので黒板に書いて指示したわけですが。彼の仕事は鋳物師で、鉄を溶かしてやかんとか鍋とかを作る仕事でした。すると、子どもたちは自分の家にある物をジョーンズさんのところに持ってきました。それでジョーンズさんは鐘を作ったのです。

 

牧師が辞任のあいさつをする日です。どこからか鐘の音が聞こえてきました。それは小さな町全体に響き渡る音でした。大人たちはびっくりして音のする方向に走って行くと、教会の上に鐘が付いていてジョーンズさんが紐を引いて鐘を鳴らしていたのです。大人たちは何となく気付いていたんですが、自分たちの家から鉄の物が無くなった理由がやっとわかりました。そして子供たちが喜ぶ姿を見て、自分たちの過ちを認めたのです。

 

あの鐘を鳴らしたのは、ジョーンズさん?

それもあるかもしれませんが、それ以上に神様の喜びの根が鳴り響き、回復していった、そこに神様の恵みがもう一度溢れたのです。

ジョーンズさんの和解の鐘以上に、神様の鐘が、十字架による救いの鐘が私たちに鳴り響く時、私たちは回復し、いのちあるものとなるのです。

どんなに立派な鐘があってもそこに神様のお名前が刻まれてなければ命がない。

神様があなたの名前を覚え今日もその鐘を鳴り響かせてくださる。

あなたはこの神様が成される御業に期待していますか?