聴いてくださる方がここにほら、いるよ | とある働き人の聖書のお話

とある働き人の聖書のお話

東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

人は大概自分の話を聞いてほしいものです。

でも意見は押し付けられたくない、という人もいますが。

それはその人の言っていることが必ずしも正しいとは言えないから。

 

そんな事はどうでもいいのですが、

神様はどんな時も聴いてくださっています。話すことを赦されています。

エデンの園からアダムとエヴァを追放しても見捨てず、祈りにいつも耳を傾け、導かれていました。それは昔も今も変わらない、この神様にいつも祈り続けようではありませんか。

 

マックス・ルケード氏(牧師・絵本作家・作家)は語ります。

私たちは神に話をすることができます。神が聞いておられるからです。御国で私たちの声は大切に扱われます。神は私たちの声に真剣に耳を傾けてくださいます。神の御前に出て行くとき、神は私たちの声を聞くために、私たちの方へ御顔を向けてくださいます。ですから、相手にしてもらえないかもしれないなどという心配は無用です。たとえ言葉につかえたり、ほかの人が私たちの言葉に何の反応を示さなくても、神だけは耳を傾けて感動されます。神は老人ホームにいるお年寄りたちの訴えも聞いておられます。死刑囚たちの胸詰まる告白も聞いておられます。アルコール中毒の人が恵みを求めるとき、夫と妻が結婚生活の知恵を求めるとき、社会人たちが職場を抜け出して礼拝堂の片隅にひざまずくとき、神は彼らの声を聞かれます。主は深く、集中して聞かれます。