誰についていきます? | とある働き人の聖書のお話

とある働き人の聖書のお話

東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

師、手本、いずれにしても誰についていくかによって変わってきますよね。

甘く聞こえる、耳障りの良いことばで実は詐欺、なんてこともありますよね。

では本当の愛を与えられるのは、誰なのでしょう。

 

神様は御子イエス様の命まで惜しまずあなたに与えるほどに愛された、この方があなたを導こうとされているなら、そこにはどれだけのものが待っていることでしょう。

あなたは今日、誰についていきますか。

 

一方の側には群衆がいる。野次り、あざけり、不当な要求をする。

もう一方の側には、貧しい者がひとり。

膨れた唇。腫れ上がった目。偉大な約束。

 

かたや、要求をのめば認めてやろうと約束し、

かたや、十字架を約束する。

 

群衆が挑みかける。

「おれたちの仲間になって、おれたちについてこい。」

イエスは約束する。

「彼らから離れて、わたしについてきなさい。」

 

彼らは肉の歓びを約束する。

神は救いを約束する。

 

神はあなたを見つめて、訊かれる。

「あなたはどちらを選ぶのか」と…。

 

だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。(マルコの福音書8章34節)

 

ーA Gentle Thunderー