習慣が作り出すもの(あるカナダ旅行者の話) | とある働き人の聖書のお話

とある働き人の聖書のお話

東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

ある春の日にカナダを旅した人がいました。雪と霜が解けてそれ以上は進めないと思うほどぬかるんだ道を走っていると、交差点に来ました。すると「どの道を選ぶか注意。ここから40キロは直進のみ」という看板がありました。これは、道が悪いところを運転する人にだけでなく、みんなに適用できる賢明な忠告です。

 

人生の交差点に来たとき、どんな選択をするでしょう。言い換えれば、人生の方向性はどうでしょう。どんな習慣が、出来上がっていますか。習慣とは、一貫した行動パターンのことです。私たちは、祈りつつ、どんな習慣を身につけるか決めなければなりません。私たちの習慣は、何となく決まりますか。それとも、神の恵みを意識していますか。

 

パウロは人生を競技にたとえました。彼は道をはずれない唯一の方法は「自分のからだを打ちたたいて従わせ」ることだと学びました(Ⅰコリント9:27)。

 

それは、敬虔な行動パターンから常にはずれないことです。健康のために良い習慣を身につけることは大切ですが、霊の訓練はもっと重要です。私たちは常に祈り、聖書を読み、親切に行動するように習慣づけをしていますか。

 

習慣は、慣れ親しんだ行ないです。しかし、良い霊的訓練は、単なる習慣を恵みの習慣に替えることができます。

習慣は最初に人を作るが、最後には人を造ってしまう。

 

ーデイリーブレッドー

 

私たちはこの本にあるように、健康は気にしてあれこれしたりします。

でも、心、いやもっと言うと魂、ここに気をかけているでしょうか。

健康についても偽情報を握らされて習慣化させても意味がありません。

神様は霊的にもあらゆる点で命あるものへと導かれます。

だからこそ私達は神様に立ち返ろう、いのちに、恵みに生きようではありませんか。