新年度も始まりいろいろ苦労があるかもしれませんね。
そこで何かに私たちは寄り縋りたくなりますが…
ー以下、しろくま先生の記事よりー
こんな記事を読みました。まずはこちらをご覧ください。
「神様には得意ジャンルがある」
大きな神社には、どんな神様がまつられているかを説明した立て札などがある。無病息災や家内安全が一般的だが、できればご利益を期待して、学力向上には学問の神様、恋愛成就なら縁結びの神様にお願いしたいところ。見分ける簡単な方法として、神社の名前に注目すればわかりやすい。
・神宮(伊勢神宮、明治神宮など)→昔の天皇→願うならスケールの大きなことを。
・稲荷(豊川稲荷、伏見稲荷大社など)→穀物の神様→商売繁盛
・天神、天満宮(湯島天神、太宰府天満宮など)→学問の神様・菅原道真→学業成就
・八幡(宇佐八幡宮、石清水八幡宮など)→母性の象徴→安産、家内安全
厳密には神社によってご利益はそれぞれ違うため、調べてから出かけたい。「雨乞い」「サッカー必勝」「短歌・俳句・文章上達」「豊乳」「神経痛・腰痛平癒」など特徴的なご利益を打ち出している神社もある。
皆さんはこれを読んでどう思いますか? 私は(失礼ながら)思わず「ごくろうさまです」と思ってしまいました。聖書は「まことの神は、世界でただお一人だけだ」と伝えています。
「地の果てのすべての者よ。わたしを仰ぎ見て救われよ。わたしが神である。ほかにはいない。」(聖書/イザヤ書45章22節)
人間(職人さん)が木や石を掘って作り出したものが本当に神様ですか?
人間が神を作った = これが宗教です。
ここでひとつ質問させてください。
次の二つのうち、どちらが正しいでしょうか?
①お母さんが子供を産んだ
②子供がお母さんを産んだ
答えは簡単ですよね。子供がお母さんを産みますか? あるいは子供が石や木から一人の女性を作り上げて、「今日からあなたが私のお母さんです」とお願いし、ご飯を作ってもらったり、オムツを換えてもらったりするでしょうか? その前に木や石で作られたものなら動かないでしょ? ご飯を作ってくれるとかいう以前に、会話すらできない存在なんですよ。これって変な話でしょう?逆でしょう?そんなことをしている人を見かけたら気持ち悪いですよね。私はそれこそ変な宗教じゃないかって思ってしまいます。普通はお母さんが子供を産むのです。そこから正しい親子関係が生まれてくるのです。それと同じです。人間が神を作ったら、順番が逆なのです。それはおかしな話なのです。
聖書におもしろい表現がされていますよ。
主はこう仰せられる。「…国々の民のならわしはむなしいからだ。それは、林から切り出された木、木工が、なたで造った物にすぎない。それは銀と金で飾られ、釘や、槌で、動かないように打ちつけられる。それは、きゅうり畑のかかしのようで、ものも言えず、歩けないので、いちいち運んでやらなければならない。そんな物を恐れるな。わざわいも幸いも下せないからだ。」(聖書/エレミヤ書10章2節~6節)
注目してください。「そんな【物】を恐れるな」と言っています。それは命のある存在、「者」ではなく、ただの動かない「物」だと言っているのです。聖書は、神がこの世界と人間を造られたと伝えています。しかも全知全能のお方であって、不可能なことがないお方です。それが本物の神、創造主です。
「見よ。わたしは、すべての肉なる者の神、主である。わたしにとってできないことが一つでもあろうか。」(聖書/エレミヤ書37章27節)
なるほど世の中には「神」と呼ばれるものがたくさん存在しています。でも常識的に考えてみてください。それぞれに得意分野があって、苦手な分野、担当外の領域があるなんて、そんなの本当の神だと言えますか? たとえば稲荷神社に受験のことを祈ったら、「あっ、ゴメン、私はそれは得意分野じゃないのでできません。天神様のところに行ってください」って断られるのでしょうか。
それが神様? あなたはそんな神様に本当に信頼できます?何でもできるから神なんじゃありませんか?できることと、できないことがあるなら、それはもはや人間と一緒ではないでしょうか。どうか雰囲気や習慣、伝統に流されず、まっすぐに、そして素直に、単純に考えてみてください。それがあなたの神ですか?そんな神様に本当に信頼し、あなたと、あなたの大事な人たちの人生をあずけられますか?私にはできません。あまりにも頼りなくて…。
まことの神、創造主は、お賽銭をあげなきゃ御利益をくれないような神様でもなければ、苦手な分野があるお方でもありません。まことの神(創造主)には得意ジャンルなんて存在しないのです。すべてが得意ジャンルです! なぜならこのお方はこの全宇宙をことば一つで創造し、私たちを…あなたを造られた唯一まことの神であり、創造主であり、救い主だからです。
「聖書の神が、ただ唯一まことの神です。」
そう言うと、多くの方々が言われます。
「キリスト教は傲慢だ、他の宗教や神々を認めようとはしない」
いいえ、違います。本物だから「本物です!」と確信をもって宣言できるのは聖書の神だけなのです。
どうぞ聖書をお読みになってみてください。そして世界で最も大事な真実を発見してください。そしてお近くのキリスト教会にお出かけになってみてください。
あなたが本物の神と出会えますように。
【聖書のことば】
わたしをだれになぞらえて比べ、わたしをだれと並べて、なぞらえるのか。袋から金を惜しげなく出し、銀をてんびんで量る者たちは、金細工人を雇って、それで神を造り、これにひざまずいて、すぐ拝む。彼らはこれを肩にかついで運び、下に置いて立たせる。これはその場からもう動けない。これに叫んでも答えず、悩みから救ってもくれない。このことを思い出し、しっかりせよ。そむく者らよ。心に思い返せ。遠い大昔の事を思い出せ。わたしが神である。ほかにはいない。わたしのような神はいない。」(イザヤ書46章5節~9節)