私はよく祈ってもらいます。また祈ります。祈ることは弱いことではないから。
むしろどんなときでも祈ります。自分の知恵に頼るのが強いわけではないから。
神様の強さ、完全さが現れること祈りたいものです。
自分があれしたい、これしたい、だから助けて、ではなく、ある特定の条件のときだけではなく、どんなときでも祈りたいものです。それがどんな時であろうとも神様は喜んで応えてくださるから。
内村鑑三氏はこう言っています。
キリスト信徒は絶え間なく祈るべきである。まことに彼の生命は祈祷である。彼はなお不完全ならば祈るべきである。彼はなお信仰が足りなければ祈るべきである。彼はよく祈ることができなければ祈るべきである。恵まれても祈るべし、呪われても祈るべし。力なき私、私のできることは祈ることのみ。