イライラして裁かない(ある著名な作家) | とある働き人の聖書のお話

とある働き人の聖書のお話

東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

近年本当に色々世知辛い世の中になってきたな、と思っていたある日こんな記事を見ました。

 

スティーヴン・コ―ヴィーさんという著名な作家の体験した実話。

彼はある日曜日の朝、ニューヨークの地下鉄に乗っていました。空いている電車内は、静寂そのものでした。

 

ところが、ある駅に到着すると、一人の中年の男性と、数人の子供が乗り込んできて、車内の雰囲気が一変しました。子供は大きな声で叫んだり、物を投げたり、走り回ったりしました。

 

しかし、スティーヴン氏の隣に座った父親は、目をつぶったまま、何も言いませんでした。

スティーヴン氏をはじめ、電車に乗っている人々はみな、子供に対しても、その行儀の悪さを容認する父親に対しても、イライラが募るばかりです。

 

とうとうたまりかねたスティーヴン氏は父親に言いました。

「お宅の子供たちは、みんなに迷惑をかけていますよ。もう少し、おとなしくするように叱ってもらえませんか。」

すると隣に座っていた父親は、重い口を開きました。

「おっしゃるとおりです。何とかしなければならないと、私も思っていますが、どうしたらいいかわかりません。ほんの一時間前に、私の妻、あの子たちの母親が病院で死んでしまいました。私もどうしたらいいかわからないし、子供たちも同じでしょう。」

 

一瞬にして、スティーヴン氏の父親に対する考え方が変わりました。

そこで、父親を批判することをやめ、むしろ彼に同情し、彼を慰めようとしたということです。

 

聖書にこうあります。

「さばいてはいけません。さばかれないためです。あなたがたがさばくとおりに、あなたがたもさばかれ、あなたがたが量るとおりに、あなたがたも量られるからです。また、なぜあなたは、兄弟の目の中のちりに目をつけるが、自分の目の中の梁には気がつかないのですか。」(マタイによる福音書7章1-3節

 

今目の前の人たちの状況を知らずに私たちはこのように冷たい目を向けやすいです。

でも冷たい目よりも温かい目を向ける方がずっといいのではないでしょうか。

 

その人の状況は↑ほどではないのかもしれない。でも、苦しんでいる人をよけいに苦しめてどうなります?一緒に乗り越える、これ方がずっといいのではないでしょうか。一緒に祈れればなお。

 

仕事とか人間関係もそう。他人ごとではないはずです。同じ仲間。彼らもあなたも神様の大切な作品です。高価で尊い存在です。互いに愛し合おう。そこに神様の平安が広がるのです。

 

聖書のほかの個所にはこうあります。

「まことに、あなたがたに告げます。何でもあなたがたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたがたが地上で解くなら、それは天においても解かれているのです。まことに、あなたがたにもう一度、告げます。もし、あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。」

(マタイによる福音書18章18-20節)

 

あなたが神様とつながりその愛を現す中で、神様はその御心を現されます。共におられます。変わります。