これまで何度か紹介してきた曲ですが、
これは関東大震災の起きた夜に曲です。
私たちは今様々な戦いにあります。
今年初めには能登半島、また今日は3.11から13年を迎えますが、復興復興と言っても、心は何年たっても癒えるものではないし、そのスピードはそれぞれ、形もそれぞれです。
ただ、いえることはどこにあっても神様はある、おられます。あなたの櫓となり守られます。
決して揺るぐことのない愛をもって立ち、守られます。
良ければ紹介文を読みつつ、聞いていただければと思います(;^_^A
聖歌397番「遠き国や」は、1923年9月1日、関東大震災の起きた夜に作られた賛美です。作詞・作曲をした J.V.マーチン宣教師は、大阪の大学の英語講師だったのですが、この日偶然東京に行っていた彼は被災者を見舞うために芝白金の明治学院のグランドへ向かいました。夕闇せまるグランドには、大勢の人たちが肩を寄せあうように集まっていました。数は十分ではなかったでしょうが、グランドで夜を過ごすために蚊帳とろうそくが支給されました。
9月になったばかりで、まだまだ残暑が厳しい時期で、しかもまだ、あちこちで火がくすぶり、時折、襲ってくる余震に怯えながら、愛する家族を、帰る家を失い、途方に暮れていた人々からはすすり泣く声が聞こえてきました。マーチン宣教師自身、深い悲しみの思いを抱いて、瓦礫と化した街を通りながら、その絶望と悲しみに包まれたグランドに近づいて行きました。
そのマーチン宣教師の目に飛び込んできたのは暗闇の中に浮かぶ十字架でした。それは、蚊帳の中で灯されたろうそくの光でした。彼にはそれが絶望の闇に、光り輝く十字架に見えたのです。マーチン宣教師はその場でペンをとり、すぐにこの詩を書き記し、大阪に戻り曲を完成させました。
「遠き国や海の果て、いずこにも住む民も見よ。慰めもて変わらざる、主の十字架は輝けり。慰めもて、汝がために、慰めもて、我がために、揺れ動く地に立ちて、なお十字架は輝けり。水はあふれ、火は燃えて、死の手ひろげ待つ間にも、慰めもて変わらざる、主の十字架は輝けり。仰ぎみればなど恐れん。憂いあらず、罪も消ゆ。慰めもて変わらざる、主の十字架は輝けり」