最後の手段であってはいけない | とある働き人の聖書のお話

とある働き人の聖書のお話

東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

人はまず自分で頑張る、という習慣があります。

委ねる、手放す、ということがどうも苦手。なぜ?手放した先が見えないからでしょう。

 

しかし、神様が弱さの内に完全に働かれます。

弱くていい、祈っていい。神様がすべてを働かせて益としてくださりますから。

 

「神に委ねる」とは、祈ることを意味します。残念なことに、私たちはしばしば自分の力で物事を解決したいと願い、祈ることを後回しにしてしまいます。ある教会の執事が牧師のところにやって来ていったそうです。「大変です。状況が全くよくなりません。もう私たちの力ではどうすることもでいません」。牧師が答えて言いました。「そうですか…。私たちにできることと言ったら祈ることだけのようですね」。すると執事は応えたそうです。「もうその手しか残されていないのですか…」。

ーある本よりー

 

祈ることは最終手段ではない(・_・;)最後に残された手段なはずはない・・・

まず神様を第一としましょう。その時神様がすべての必要を満たしてくださるから。

恐れるのではない、信頼・信じ委ねましょう。祈ることをやめず、私の最後の手ではなく、神様の最善を祈ろうではありませんか。