この人ではないと叫ぶ、もうひとつの声 | とある働き人の聖書のお話

とある働き人の聖書のお話

東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

昔ある死刑囚がいました。

彼は今でいう恩赦を受ける機会がありました。

そんな時、彼と一緒にもう一人の方が死刑になろうとしていて、どっちを恩赦にするか、当時の総督は民に聞きました。

もう一人の方は実は何の罪を犯したわけでもない、民衆が気に食わず、死刑だ、と言っているだけ。総督もそれは分かっていた。

 

しかし、民衆はこの無罪の方ではなく強盗殺人の罪で死刑となろうとしている男に恩赦を、と決めたのです。そしてもう一人の方、無罪の方、それは御子イエス様だった、その御子イエス様を十字架に変えて殺せ、と民衆は叫ぶのです。

 

神様はこれをどうして止めなかったのか。どうせなら、もうこんな民など捨てる、とすればいいのにそれをせず、イエス様を身代わりに十字架にかける決断を「神様が」されたのでした。

 

そこに込められた神様の御思いとは。

そして、もう一つの声とは…

 

ということで、今日は日曜日ですのでいつものようにしろくま先生の礼拝メッセージ(過去のものになりますが)をシェアさせていただきます。よければ聴いてくださいm(__)m

 

ヨハネによる福音書18章37-19章16節

「この人ではないと叫ぶ、もうひとつの声」