無償の愛(フィリップ・ヤンシー氏) | とある働き人の聖書のお話

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東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

無償の愛…

そんなものがあるのか?と今の時代思いたくなる人も多いかもしれません。

 

フィリップヤンシー氏がなかなか興味深いことを書いています。良ければ参考に。

「アガペー(分かりやすくいうなら無償の愛)とは、私たちが当然所有している自発的な感情ではない。自分に危害を与える人々にも、断固たる善意を遂行しようとする決意を持つことである。ある人が言ったようにアガペーとは、私たちが好きでない人々を、また自分を好いてくれない人々を愛する力である。私たちが怒りや憎しみという自然な感情を克服し、すべての人に不屈の善意を遂行できるようイエス・キリストがしてくださる時に、私たちは初めてアガペーを持つことができるというのが事実である。

 

キリスト者の愛であるアガペーが意味していることは、人々を勝手気ままにさせ、自由放任させることではない。子どもを好き放題にさせておく親は、その子を本当に愛しているとは誰にも言えないであろう。私たちが不屈の善意で人に接すればその人を罰し、制限し、規律を課し、本人の意向に反しても保護しなければならない時もしばしばあり得るということをそれは意味している。しかし、それは、私たちの復仇心を満たすために罰するのではなく、その人を良い人にするためである。キリスト者の規律と懲罰はすべて、復讐のためではなくて、癒しのためである。懲罰は、単なる復讐のためではなくて、必ず治療となるであろう。」

 

本物の愛なんてこの世の中見出す方が確かに難しいものがあります。

でも、イエス様が助けてくださります。イエス様は、隣人を愛する前にまず、神様との関係を愛することを訴えます。その中において神様が助けを、御心を現してくださるのです。

 

愛、なんて簡単に使える言葉ではないかもしれません。

それでも、私たちはイエス様につながろうではありませんか。

私たちは繋がる木に従って実を結ぶのだから。