愛に向かうために | とある働き人の聖書のお話

とある働き人の聖書のお話

東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

これをしてくれたら認めるよ、

これをしてくれない人は嫌い、

こんな取引的な関係が世間一般に見られますね

どうしてでしょう?

それは多分、相手のことが信頼しきれていないからかもしれません。

 

でも神様は、私たちがこれだけ行ったり来たりしている、そんな私たちを知った上でさえ、私たちを愛し私達を引き寄せてくださった、御子イエス様の命にかけて。

私たちはどうしてそんな神様と取引のようにする必要があるでしょう。私たちは神様の愛に思いっきり信頼し、この愛に、向かわせていただこうではありませんか。

 

以下、

ーHope Lyda よりー

 

「神の愛に向かうため」

神様、認めます。
今まで私、まるであなたと綱引きしているようだった…と。あなたがあっちに引っ張ると、頑固な私は一歩も譲らない。あなたが最善だと思うのとは別のゴールや目的に目がくらむ。安っぽい偽りの愛しか約束しないものなのに。一瞬でも目をそむけたら、あなたの計画が見えなくなる。だから私のうちに変わらない強い心を植えつけてください。ただあなただけを信頼できるように。

あなたが指し示す方向に歩もうとする私に忍耐を与えてください。偽りの神々や欺きの声に惑わされないように。その先に希望はないのだから。

もともとだれかと取引できるような私でしょうか。だって、そもそも私はあなたのもの。だからあなたが先頭に立ってください。あなたの愛の鼓動が私の人生に響き続けるように。