「ああ。クシュの川々のかなたにある羽こおろぎの国。この国は、パピルスの船を水に浮かべて、海路、使いを送る。すばやい使者よ、行け。背の高い、はだのなめらかな国民のところに。あちこちで恐れられている民のところに。多くの川の流れる国、力の強い、踏みにじる国に。世界のすべての住民よ。地に住むすべての者よ。山々に旗の揚がるときは見よ。角笛が吹き鳴らされるときは聞け。主が私にこう仰せられたからだ。『わたしは静まって、わたしの所からながめよう。照りつける暑さで暑いころ、刈り入れ時の暑いときの露の濃い雲のように。』刈り入れ前につぼみが開き、花ぶさが育って、酸いぶどうになるとき、人はその枝をかまで切り、そのつるを取り去り、切り除くからだ。それらはいっしょにして、山々の猛禽や野獣のために投げ捨てられ、猛禽はその上で夏を過ごし、野獣はみな、その上で冬を過ごす。そのとき、万軍の主のために、背の高い、はだのなめらかな民、あちこちで恐れられている民、多くの川の流れる国、力の強い、踏みにじる国から、万軍の主の名のある所、シオンの山に、贈り物が運ばれて来る。」
イザヤ書18章1-7節
私が若いころ、一人暮らしをしていたので、時に食料などに困っていた、そんな時、私の両親はそれを察したのか、時に食料を送ってくれたり、実家にたまには帰っておいで、とよく声をかけてくれたのを覚えています。また両親の召天後に聴いた話では、一人暮らしをしている間も守られるよう祈っていたこと、本当にありとあらゆる方面で支えられていたこと覚えます。他にも多くの友人に助けられたことも。たまたまではなく、確かに私をご存じの神様が霊肉共に満たしてくださった、この神様が今日も変わらず養い導いてくださっている。同じようにあなたも神様によってつくられた大切な存在です。あなたの作り主、主なる神様に今日すべてを委ね、歩ませていただきたいものですね。
さて、↑は古代イスラエル王国が分裂して後、北イスラエルがアッシリヤ帝国に捕囚され、また南ユダ王国をアハズ王が統治していた時期からアハズの死んだ年までの間に、神様が預言者イザヤを通して諸国に預言されたもの、前回はダマスコ(アラム・現在のシリヤ)への宣告でしたが、今回はクシュ、現在のエチオピア(現在のスーダンを含む)への宣告になります。これは相当広範囲になりますね。
次の章ではエジプトへの宣告も出てくるのですが、前回のシリヤ、またその前のモアブなど、広範囲にわたって宣告されています。一見今回のエチオピアだってイスラエルから見たら地理的にもあまり関係ないように感じるかもしれませんが、しかし神様は監視、という意味ではなく私たちの良い時も困っている時も、その御目を注いでくださっている、関心を持たれている、だからこそ語られているのです。私たちは日本に住んでいるから、ある人は西洋の宗教だし関係ない、というかもしれませんが、しかし神様は宗教ではなく、リアルなのです。実際にあなたを造られ、導かれている、養われているのです。この神様の愛を、恵みを受け取るか、最後はあなたの決断が問われるのです。
と、話が少しそれましたが、神様はイザヤを通して、彼らについて「ああ。クシュ(エチオピア)の川々のかなたにある羽こおろぎの国。この国は、パピルスの船を水に浮かべて、海路、使いを送る。すばやい使者よ、行け。背の高い、はだのなめらかな国民のところに。あちこちで恐れられている民のところに。多くの川の流れる国、力の強い、踏みにじる国に」と語られます。
どういうことか。まず「羽こおろぎの国」というのはエチオピアが非常に蒸し暑く、羽のついた虫・要するにイナゴを指すようですが、そのようなもので満ちていた国だった、と言われます。小さいけれど、集まれば脅威になるいなご。まあ、いなごのように忙しくあっちこっちに使者を送る、という意味合いもこの預言からは見えないこともないのですが。
そんなクシュ・エチオピアで、ピアンキという王が、紀元前730年ごろからエジプトを支配・というよりも強国同士手を組んで、アッシリヤに対抗しようと、クシュの川々、またナイル川上流にパピルスの船を浮かべて使いを送ります。周辺の状況としては、アッシリヤはシリヤを破り、そして北イスラエルを滅ぼし、さらに東はモアブ、西はペリシテの町々に力を加え、どんどん南下していくのです。もう、ほぼ待ったなしの状況でした。
そのような状況下で、神様はイザヤを通して「世界のすべての住民よ。地に住むすべての者よ。山々に旗の揚がるときは見よ。角笛が吹き鳴らされるときは聞け。主が私にこう仰せられたからだ。『わたしは静まって、わたしの所からながめよう。照りつける暑さで暑いころ、刈り入れ時の暑いときの露の濃い雲のように。』」と示し語られます。神様は「この国は、パピルスの船を水に浮かべて、海路、使いを送る。すばやい使者よ、行け。背の高い、はだのなめらかな国民のところに。あちこちで恐れられている民のところに。多くの川の流れる国、力の強い、踏みにじる国に」と語っておられたのにもかかわらず、どういうわけか、「わたしは静まって、わたしの所からながめよう。照りつける暑さで暑いころ、刈り入れ時の暑いときの露の濃い雲のように」と仰られ、静観され、助けるといった言葉はここには見受けられません。
じゃあ神様を頼ってはいけないのか?神様は気が向いたときにしかその御顔を向けてくださらないのか?祈りを聞いてくれないのか?これは私たちも考える疑問かもしれません。困難な時、初めて神様に向き合い祈る人もいるでしょう。しかし、応えてくださらない時、やっぱり神様はいないんだ、と私たちの心は一瞬向いても離れてしまういます。
でも、神様はむしろ私たちのためにもう一度集めてくださり、すべての国々にその栄光を見せてくださるのではないでしょうか。クシュが強国と手を組んでなんとかアッシリヤに対抗しようと試みますが、彼らが使いを送る中に大切な国といいますか、相手を忘れていないでしょうか。あなたの危機の中、助けを求める相手を忘れていないでしょうか。神様は滅びる前に彼らに今語られたように、たとえ静かに、なにも神様がされていないように感じる中にあっても、神様はちょうどよい時に引き上げる、その準備をされている、その苦しみの中にあっても、それこそイザヤのような預言者を通して語られたりと、見捨ててはいない、今もその御心はあなたに向いているのです。神様は静かに目され、なにもされないのではない、あなたの苦難の中にあっても神様はその御手を伸ばされている、私たちが見ないだけで、聴こうとしないだけで。
南ユダやその周辺国、ここではクシュ・エチオピアが挙げられていますが、彼らはアッシリヤの用意に確かにさらされていました。しかしそのアッシリヤは南ユダを包囲するも、結局神様によって一網打尽、結局自国に帰って、王は殺され、バビロンによって最終的に彼らは滅ぼされることとなるのです。南ユダはその時完全にアッシリヤに包囲され、民の心は萎え、人の目にはどう見ても完全な敗北しか見えない状況だった、しかし神様に心を向けたヒゼキヤに神様は応えられ、彼らを勝利に導かれたのです。
私たちは確かにクシュ・エチオピアのように、あっちこっちに使者を送るということはないかもしれません。しかし、私たちはあっちこっち心を騒がせ、砕けてしまっているあなたの心に、神様がいるという、その希望を届けよう。あなただけではない、あなたのまわりにいる心砕け、どうしようもなくなっている隣人、友のために。神様は状況に左右されず、毅然と静まり、あなたを救わんとされる、そのために今日も語り、導かれているのですから。神様は静か、なにもされないということはなく、むしろその御手は今日も伸ばされ動いているのですから、私たちはこの神様が導かれる声、その御あとをついていかせていただこう、ここに希望があるから。
神様はイザヤを通して、クシュへの宣告の最後で「そのとき、万軍の主のために、背の高い、はだのなめらかな民、あちこちで恐れられている民、多くの川の流れる国、力の強い、踏みにじる国から、万軍の主の名のある所、シオンの山に、贈り物が運ばれて来る」と語られていますね。万軍の主の名のあるところ、シオンの山に、贈り物が運ばれてくる、と。それは、贈り物を運ぶような状況に神様がしてくださる、彼らを導いてくださる、ということ。でも神様が求める、喜ぶ贈り物ってなんでしょう。それは神様のもとに立ち返る人、失われていた、クシュのように神様から離れていた人、苦しみの中さまよっていた人がもう一度神様に立ち返る、それ以上の喜び、贈り物は神様にとってはないのではないでしょうか。
古代イスラエル王国2代目の王、ダビデは「神へのいけにえは、砕かれた霊。砕かれた、悔いた心。神よ。あなたは、それをさげすまれません。どうか、ご恩寵により、シオンにいつくしみを施し、エルサレムの城壁を築いてください」と詩に残します。この詩を歌う前、彼は大きな罪を犯していました。とりあえず罰として何か払えばいい、とは彼は考えなかった、そんなものが何になるだろう、と。しかし彼が悔い改めた、その心を神様は受け取られた、喜ばれたのです。
実はこの神様の預言の成就の一部がイエス様の昇天後に、まさにクシュ・エチオピア人の内におこったのです。あるクシュ・エチオピア人の宦官が、まさにイザヤ書を読んでいた、彼らの内にも確かにこのイスラエルとの歴史の中で神様のメッセージは届いていたのです。その彼はイザヤ書で語られている救い主が誰なのかわからずにいました。しかし、神様は聖霊様を使徒ピリポのもとに遣わし、彼をその宦官のところに導かれ、イエス様のなされた救い、神様が逆に送ってくださった贈りもの、イエス様の十字架による身代わりの死と復活による救い、これを語り、彼はイエス様の恵みをいただき、まだ特にキリスト教国家でもなかったクシュ・エチオピアにあって希望を得たのです。
そしてその彼の愛をあっちこっちに国内で送ったのか、いわゆるプロテスタントやカトリックとは違いますが、エチオピアはやがて帝国時代、紀元333年に国境とされ、現在も日本のクリスチャンの30倍以上、人口の約50%、約3200万人の人がこのイエス様の救いに与っているのです。変わらず。
神様のくださった御子イエス様の十字架と復活による救いは、全世界に宣べ伝えよ、とイエス様ご自身が宣言されるほどに、届けられた、今も届けられているのです。神様はなにもされないのではない、私たちのためにさえ、希望はどこにある、と探せど見つけられずさ迷い歩く私たちのところにさえ、今も届けられているのです。まだ終わりの時は来ておらず、その扉はまだ閉められていません。私たちがいらない、と扉を勝手に閉めるのではなく、私たちはどこにいようとも、どんな時も、神様のもとに自身という捧げもの、悔いた心をもって御前に進み出ようではありませんか。神様は喜んであなたを受け入れてくださる。
御子イエス様が十字架にかけられている最中、何でこんな裏切った民のために、と怒りおろして天に戻されるのではなく、黙され静かにあなたの救いのために涙をのみ、その愛を示された、その神様が今イエス様の愛ゆえにあなたのうちに、私たちには静かに見えるかもしれませんが、確かに豊かに働かれるのですから、私たちはこの十字架で結ばれた力強い絆のもと、歩ませていただこうではありませんか。