雨がもたらすもの | とある働き人の聖書のお話

とある働き人の聖書のお話

東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

私たちは苦難、苦労、様々な戦い、思い悩み、試練などとあうことが時にあります。

しかし、これらはもちろん人の悪意からくるものもです。

 

しかし、あなたがこれらの中に神様を求めるとき、神様はあなたを通して栄光を現し、花を咲かせ、実を結ばせてくださります。あなたは「神様に」、求めていますか?

 

J・H・マコンキー氏は言う。

神にムチ打たれる子どもの何人かは、恐らく今でも、「おお神よ、今夜は雨がひどく降ります。私の力には耐えられないような試練が、私の上に雨のように降ります。失望が雨のように降り注ぎ、私が選んだ計画をみんなだめにしてしまいます。激しい苦しみの中で、震える心をさらに震え上がらせるような別れが、雨のように私の人生に降り注いできます」と言うでしょう。

 

しかし、友よ、あなたは間違っています。雨はあなたを苦しめるために降るのではありません。

 

雨は祝福なのです。なぜなら、あなたがもし、父なる神のことばを信じるならば、嵐もなく懲らしめもない、かつてのあなたの人生には育たなかった、すばらしい香りと美しさをもつ霊的な花が、その打ちつける雨の下で芽生えてくるのです。あなたはたしかに雨を見るでしょう。しかし、花をもまた見ませんか。雨はあなたを苦しめるために降るのではありません。やさしさ、愛、同情、忍耐など、それに何千もの祝福された霊の花や実がもたらされるためです。それはあなたのこれまでの内的生活にはなかった霊的豊かさを、あなたの生涯に持ち込んでくれるものなのです。