良い事をする理由(マザー・テレサ) | とある働き人の聖書のお話

とある働き人の聖書のお話

東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

人のために、良き業をなさい。

それは、その人がそれにふさわしかったり、

お返しをしてくれたりするからではなく、

あなたがあなたであるためなのです。

~マザー・テレサ~

 

マザーテレサの言葉は、人間の栄誉とか、名声とかの、世的なこととは全く次元の違うところから響いてきますね。

 

飢えている人、病んでいる人、孤独な人、死にゆく人…。マザーが生涯をかけて愛の対象とした人々は、この世の規準で言うならば、まさしくこの2行目の人々とは対極にある人でした。

彼女の規準はただ一つ、その人が、神様に創られた、それゆえに生きるに値する一人の人間だから、神様の愛を受けるにふさわしい人だからでした。端的に言えば、その人が人間である限り、最期の息を引き取るまで、人は愛される資格を持つのだということです。

 

そしてマザー・テレサは3行目で、私たちの良き業の理由を、

他者にではなく、自分自身に向けさせます。神様のみ前では、あなたの真の価値は、他者への関わり方によって測られるということです。

 

私たちは、一人一人が神様の似姿に創られました。愛なる神によって創られたということは、人を愛する者として創られたということです。ですから、もし私たちが、飢え、病み、苦しんでいる人に、あわれみと愛の手を差し伸べなかったら、それはもはや神様に創られた私ではない。私たちが人に良き業をするのは、それが神様に創られた人間としての聖なる責務だからです。それを怠るとき、私は私ですらあり得ない。神様のみ前では、“愛さない”ことは罪なのです。

 

人のために、どんなにささやかでも良き業をしましょう。神様のみ前で、私が私であるために。

 

Do things for people not because of who they are or what they do in return, but because of who you are. 

 Mother Teresa