かろうじて救われる人と罪人の運命 | とある働き人の聖書のお話

とある働き人の聖書のお話

東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

とりあえずその場さえしのげればいい、

と考える人もいます。

まあどうせ神様は赦してくださるから、とあいまいな関係でいようとする人もいます。

それこそ今分かち合っているサムソンのように。

 

でもそれでいいの?ありのままでいいの?

神様は御子イエス様の命をもってまであなたを救わんとされたんですよ?

どうして適当でいい、などと言えますか。

神様の救いを丸ごと受け、生かされ、歩もうではありませんか。

 

ということで今日は日曜日ですので、いつものようにしろくま先生の礼拝メッセージをシェアさせていただきます。よければ聞いてくださいm(__)m

 

Ⅰペテロの手紙4章17-19節

「かろうじて救われる人と罪人の運命」