「その後、サムソンはソレクの谷にいるひとりの女を愛した。彼女の名はデリラといった。すると、ペリシテ人の領主たちが彼女のところに来て、彼女に言った。『サムソンをくどいて、彼の強い力がどこにあるのか、またどうしたら私たちが彼に勝ち、彼を縛り上げて苦しめることができるかを見つけなさい。私たちはひとりひとり、あなたに銀千百枚をあげよう。』そこで、デリラはサムソンに言った。『あなたの強い力はどこにあるのですか。どうすればあなたを縛って苦しめることができるのでしょう。どうか私に教えてください。』サムソンは彼女に言った。『もし彼らが、まだ干されていない七本の新しい弓の弦で私を縛るなら、私は弱くなり、並みの人のようになろう。』そこで、ペリシテ人の領主たちは、干されていない七本の新しい弓の弦を彼女のところに持って来たので、彼女はそれでサムソンを縛り上げた。彼女は、奥の部屋に待ち伏せしている者をおいていた。そこで彼女は、『サムソン。ペリシテ人があなたを襲ってきます』と言った。しかし、サムソンはちょうど麻くずの糸が火に触れて切れるように、弓の弦を断ち切った。こうして、彼の力のもとは知られなかった。デリラはサムソンに言った。『まあ、あなたは私をだまして、うそをつきました。さあ、今度は、どうしたらあなたを縛れるか、教えてください。』すると、サムソンは彼女に言った。『もし、彼らが仕事に使ったことのない新しい綱で、私をしっかり縛るなら、私は弱くなり、並みの人のようになろう。』そこで、デリラは新しい綱を取って、それで彼を縛り、『サムソン。ペリシテ人があなたを襲ってきます』と言った。奥の部屋には待ち伏せしている者がいた。しかし、サムソンはその綱を糸のように腕から切り落とした。デリラはまた、サムソンに言った。『今まで、あなたは私をだまして、うそをつきました。どうしたらあなたを縛れるか、私に教えてください。』サムソンは彼女に言った。『もしあなたが機の縦糸といっしょに私の髪の毛七ふさを織り込み、機のおさで突き刺しておけば、私は弱くなり、並みの人のようになろう。』彼が深く眠っているとき、デリラは彼の髪の毛七ふさを取って、機の縦糸といっしょに織り込み、それを機のおさで突き刺し、彼に言った。『サムソン。ペリシテ人があなたを襲ってきます。』すると、サムソンは眠りからさめて、機のおさと機の縦糸を引き抜いた。」
士師記16章4-14節
人は様々な弱さを持っていますね。ここを狙われると弱いとか、こういう誘惑に弱いとか。まあそれは人ですから完璧な人はいない。でも、だからしょうがないよね、ではなく、その弱さを神様にゆだね、断ち切っていただこうではありませんか。弱さに、罪に引きずられてはいけない。神様の導く方へまっすぐ顔を向け信頼し、歩ませていただこうではありませんか。
さて、神様がイスラエルの民を憐れみと救いによって奴隷としてとらえられていた彼らをエジプトから救い出し、約束の地に入り、相続地を得、ヨシュアの召天後。イスラエルに、神様がこれまで彼らを導いてきてくださったことを忘れ、神様を知らない、忘れた、気にもかけない第3世代が起こります。彼らは神様から離れ、その結果敵が圧迫し、イスラエルは悔い改め、そして神様が士師を立てる、そして離れるとまた敵が圧迫する、そのような状態がずっと続いていいました。
しかしそれでも神様は彼らを見捨てることをせず、オテニエル、エフデ、シャムガル、デボラとバラク、そしてギデオンと士師をたててくださりました。途中ギデオンの息子のアビメレクの暴走がありましたが、その後トラ、ヤイル、イブツァン、エロン、アブドンと、士師を立て、彼らを見捨てず、支え続けてきてくださりました。
ところがまたしてもイスラエルは神様から離れ、イスラエルは40年ペリシテ人の圧迫に苦しめられ、それでも彼らを見捨てられなかった神様はマノア夫妻を通して、ナジル人(特別な誓願をかけた人)として、サムソンという士師を立てた、救いを約束されたのです。しかしサムソンはあまりナジル人として選び分けられたことを意に介さず、好き放題に行動し、結婚問題では痛い目にあい、やったらやり返されるに疲れ、ユダ族にペリシテに売り渡されるも、それでも助かる、それでも身勝手な行動に出て、いよいよ彼の生涯が暗転し始めました。
ペリシテ人もやられっぱなしでは気が済まない、自分たちが支配者なんだ、というプライドからか、イスラエルを討つことよりも、その頭と思われるサムソンを討つ作戦にいよいよ本格的に出ます。これまでサムソンの話を分かち合ってきてお分かりかと思いますが、彼は異性関係にだらしないと言いますか、弱いということはペリシテ人たちも知っていましたので、そこを突くことに彼らはしました。
遊女との関係はうまくいかなかった、でも彼女なら、とその女性・デリラにほれ込んでいることを彼らは利用します。彼らはデリラに「サムソンをくどいて、彼の強い力がどこにあるのか、またどうしたら私たちが彼に勝ち、彼を縛り上げて苦しめることができるかを見つけなさい。私たちはひとりひとり、あなたに銀千百枚をあげよう」とお金でサムソンを売り渡すように言います。
銀千百枚×5人で1500枚、相当の額だったのでしょうね。デリラは愛ではなく、お金を取ったことが見えます。それにしても、サムソンとデリラのやり取りを見ていると、サムソンもサムソンであからさまにデリラがおかしな行動に出ているのに、それに気づかないほどに盲目になっていたこと、またデリラがお金に固執している(まあ、以前ペリシテの願いを断ったら命を狙われる、と脅された女性がいたのと、結局その妻も焼き殺されるという不幸を知っていたのかもしれませんが)のが見えますね。
彼らのやり取りを振り返ると、「そこで、デリラはサムソンに言った。『あなたの強い力はどこにあるのですか。どうすればあなたを縛って苦しめることができるのでしょう。どうか私に教えてください。』サムソンは彼女に言った。『もし彼らが、まだ干されていない七本の新しい弓の弦で私を縛るなら、私は弱くなり、並みの人のようになろう。』そこで、ペリシテ人の領主たちは、干されていない七本の新しい弓の弦を彼女のところに持って来たので、彼女はそれでサムソンを縛り上げた。彼女は、奥の部屋に待ち伏せしている者をおいていた。そこで彼女は、『サムソン。ペリシテ人があなたを襲ってきます』と言った。しかし、サムソンはちょうど麻くずの糸が火に触れて切れるように、弓の弦を断ち切った。こうして、彼の力のもとは知られなかった。デリラはサムソンに言った。『まあ、あなたは私をだまして、うそをつきました。さあ、今度は、どうしたらあなたを縛れるか、教えてください。』すると、サムソンは彼女に言った。『もし、彼らが仕事に使ったことのない新しい綱で、私をしっかり縛るなら、私は弱くなり、並みの人のようになろう。』そこで、デリラは新しい綱を取って、それで彼を縛り、『サムソン。ペリシテ人があなたを襲ってきます』と言った。奥の部屋には待ち伏せしている者がいた。しかし、サムソンはその綱を糸のように腕から切り落とした。デリラはまた、サムソンに言った。『今まで、あなたは私をだまして、うそをつきました。どうしたらあなたを縛れるか、私に教えてください。』サムソンは彼女に言った。『もしあなたが機の縦糸といっしょに私の髪の毛七ふさを織り込み、機のおさで突き刺しておけば、私は弱くなり、並みの人のようになろう。』彼が深く眠っているとき、デリラは彼の髪の毛七ふさを取って、機の縦糸といっしょに織り込み、それを機のおさで突き刺し、彼に言った。『サムソン。ペリシテ人があなたを襲ってきます。』すると、サムソンは眠りからさめて、機のおさと機の縦糸を引き抜いた」とありますね。
デリラには迷いがないほど、「すると」と行動に出ます。サムソンに「あなたの強い力はどこにあるのですか。どうすればあなたを縛って苦しめることができるのでしょう。どうか私に教えてください」と尋ねますが、何でこんな言葉にサムソンは嘘をもって答えたにしても、のってしまったのでしょう。その後もそうですよね、そんなに繰り返されていて、そのたびにペリシテが襲ってきて、どうして怪しまないのでしょう。
彼は異性に盲目になり、肝心の神様が見えなくなっていました。この後最後の訴えでサムソンは落ちるのですが、神様は果たして彼をそれでも見捨てていたのでしょうか。神様はサムソンに、これまで何度となく彼が立ち返ることを願い、その霊を注がれてきました。しかし、彼は神様の方に向きかえらなかったのです。さらに、このデリラとのやり取りを見ても、何度もしつこいくらい彼に訴えてきている様子を見て、どうして気づかないのでしょうか。怪しいと思わないのでしょうか。それだけ逆に、神様に立ち返る機会があったのではないでしょうか。
私たちは神様に盲目になってはいけません。イエス様は私たちの目を、霊の目を開かれるために来られました。神様から離れ好き勝手に生きる、本当の命がどこにあるのかもわからずさ迷っている私たちを見捨てられない、だから人という姿、神の御子であられるのに人となって生まれてきてくださったのです。本来ならあり得ない話です。もし神様が私たちをどうでもいいというなら、わざわざそんなことをしないで、時々助けるとか、それとも見捨てられるかされるでしょう。
しかし、そうではないのです。多くの士師たちが立てられたように、またサムソンの人生の中にも何度も何度も彼にかかわり、しかも生まれる前から彼を神様の恵みの内に置かれていた、私たちも神様の愛にあって造られた、それなのに、どうして神様が私たちをどうでもいい存在と思われるでしょう。私たちは私たちを引きずり込もうとする誘惑、サタンの罠を断ち切らなければいけません。というよりも、神様に断ち切っていただこうではありませんか。神様はあなたが滅びること、闇の中にいることを望まず、いのちを得ることを願っておられるのです。
だからこそ、神様は私たちの身代わりとして御子イエス様に、私たちの思い煩い、罪、一切を背負わせ、十字架にかけ、罰し、死なせたのです。ありえない話です。裏切る弟子たち、神様を神様と思わない私たちを見てもなお、もういい、とイエス様を天に引き上げるのではなく、最後まで十字架にかけ続けられ、死なせたのです。あなたが滅びることを望まないから。そして3日目によみがえらせていただいたことによって、このイエス様の十字架の前に悔い改め立ち返るすべての人の罪を赦し、あなたは神様の子として受け入れられる、新しくされるのです。
そのあなたの内に神様のこれほどまでの愛が注がれるのです。これ以上の大きな愛がどこにあるでしょうか。神様はイエス様の命を持ってまで、あなたを罪の呪いから断ち切り、あるべき本来のあなたへと回復させる、日々イエス様の似姿に変えてくださるのです。この命をかけた愛が、あなたを世の終わりまで導かれるのです。今日はいい、明日はお願い、ではなく、今日、私たちはこの愛を受け取り、いつも神様から離れず、神様が与えてくださる恵みの一つ一つに生かされ、導かれ、歩ませていただこうではありませんか。