【時間がない? 使い方の問題です】
もしあなたが、「時間がない」と言うなら、神様はちゃんとお与えになったのに、
あなたの使い方が間違っていたに違いないのだ。
ーチャールズ・スポルジョンー
「父はご自分の太陽を悪人にも善人にも昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからです。」(マタイによる福音書5章45節)
このみ言葉は、イエス様が、「敵を愛せ」という教えのあとに、その根拠として言われたもので、なぜなら神様は善人も悪人も分け隔てなく愛しておられ、太陽、雨、空気などの自然の恵みも、平等にお与えになるからだ、と諭されたものです。その恵みの中には、当然ながら「時間」も入っています。
永遠の神様は、ご自身の創造のみわざの初めに、まず「時空=時間・空間」をお創りになりました。それは、その創造のみわざの完成としてお創りになった人間に、この天地と共に、「時間」を正しく管理する務めをもお与えになるためでした。創造されたときの人間は、その時間を管理しつつ、自らは永遠に生きるはずのものでしたが、罪を犯してしまったために、「死」が入り込みました。そこで人間は、限りある自分の時間を、より一層の注意をもって、最大限に生かすべき責任が増し加わったのです。
けれど多くの人は、そのようなことは考えたこともなく、ただ巡りくるその日その日を、無為に過ごしています。そんな中で、神様の恵みとあわれみによって救われ、生かされている私たちは、この「時間管理人」の務めの大切さを、今一度考えなければなりませんね。
神様は、まさしく正しい人にも悪い人にも、一日24時間を平等にお与えくださっています。けれど、その管理の良しあしによって、ある人には、ついどうでもいいことに時間を費やし、やるべきことがほとんどできないで、まるで一日が10時間しかないように短く感じられ、ある人には、優先順位をきちんと決めて、普通の人の2倍も3倍もの仕事をこなせ、特別に40時間与えていただいているかのように、意義ある一日を生きることもできるのです。
「時間がない」「忙しい」は、主に在る私たちの“禁句”にしましょう。そして、神様の恵みの時を十分に生かせていなかった罪を悔い改め、「神の国と神の義」を第一にした生活のスケジュールを立て直しましょう。約束された永遠の世界に想いを馳せつつ、今与えられている「神様の時は、本当に美しい」と感謝できるように―。
「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。」
(伝道者の書3:11)
ー解説:小川政宏さん(元ワーナー・ブラザース映画会社の製作室長)ー