ある帰還兵の話 | 子育て休職中牧師の聖書のおはなし

子育て休職中牧師の聖書のおはなし

東京で牧師をしておりましたが、子育てのため一時的に北海道に移住しました。
「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」と語られた神様からのラブレター・聖書から少しずつ分かち合わせていただきますね(*^_^*)

戦場から帰ってきた息子が家に電話をかけて、

「無事に帰ってきました。明日家に着くと思います。お父さんよろしく」と言ってきました。

お父さんは喜んで、「帰れてよかったなあ、待っているからなあ」と喜んで話しました。

 

「お父さん、明日帰るけど、一つお願いがあるんだ」

「なんだ、お前のいう事は何でも聞いてやる。何だ」

「実は僕と戦場で一心同体のようにして戦っていた、戦友がいる。彼は帰る所がないので、僕の家に連れていきたいんだ」

「そんな戦友だったら連れておいで」

「だけど彼には問題がある」

「どんな問題があるんだ」

「彼は戦場で重傷を負って、両腕を失ってしまった。片足も実は不自由な体になってしまった。そんな友人だけれど、彼は僕のいのちのかけがえのない友人だから、一緒に連れていきたい。できることなら僕と一緒に、息子のように迎え入れて、家の息子にしてほしい」

と言った。

 

その時、お父さんは、「ちょっと待て。お前は何を言っているのか、わかっているのか?両腕もない、片足を負傷している傷病兵をわが家に連れてこられたら困る。そういう人は特別の施設に連れていくべきであって、とてもじゃないけど。まして、私の息子と同じように迎え入れることはできない。いくらお前の申し入れでも、それはできない。その戦友に、それだけは断って欲しい。連れてこないように。あなたひとりが帰ってくるように」。そして電話は切れた。

 

次の日、お父さんは息子が帰ってくるのを待ちわびたけれども、ついに帰ってこなかったのです。数日後、そのお父さんのところに連絡が入りました。

「あなたの息子が自殺した」

お父さんは本当に驚いて、せっかく命拾いして戦場から帰ってきたというのに、何で自殺などしたのだろう。

収容された病院の霊安室に入り。変わり果てた息子を見て、「何で自殺なんてしたんだ」と言い、横たわっている息子を抱きしめた時、ふと気づいた。

 

息子の両腕がついていなかったのです。彼が、戦友と言ったのは、命の恩人と言ったのは、自分の事だったのです。お父さんは激しく悔いた…

 

ーイエス様のかばん持ちより(福澤満雄先生著)ー

 

以下、福澤先生がこの話を聞いた後の感想。
私はそれを何回も繰り返し読み、もし私がこの父親だったらどうしただろう、と考えました。きっと同じようにしたと思います。自分の息子だと最初からわかっていたら、喜んで迎えたに違いありません。「お父さん、私は戦場で負傷して、両腕が無くなってしまって、片足も負傷している。みじめな体だけど帰る」と言ってくれれば、喜んで受け入れたに違いない。しかし、彼は言わなかった。きっとお父さんをテストしたのだと思います。でも私はその記事を読みながら、ああ、私も同じだなあ、本当に愛がないのだなあ、とつくづく反省しました。

 

反対に、天におられる父なる神様は、何とすごいのだろう。傷病兵どころか、本当に罪だらけで、ぼろぼろで、豚の餌までももらえないほどに、動物以下にまでに堕落したこんな私をも、無条件で、何も言わないで、馬鹿たれとも言わないで、横っ面一発もたたかないで、むしろ、走ってきて、抱きしめて、何回も歓迎と赦しのキスをして、そして祝宴を始めてくれる。これが、父なる神様の愛なんだなあと本当に思う。

「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。」(ヨハネ3章16節)とあるように、神様のひとり子をくださったほどに、私たちは、神様に愛されているのです。

 

この愛を思ったときに、私は本当に、天の父の愛に比べたらあ、何万分の一しか持ち合わせていないけれども、この父なる神様の愛に応えて、少しでも主の前に、信仰の歩みをさせていただきたい、もっと愛に満たされたいと思っております。