味覚異常の見つけ方 | とある働き人の聖書のお話

とある働き人の聖書のお話

東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

♦味覚異常の見つけ方♦(某ウィルスとは一切関係ありません)

 

もし諸君が、聖書のある部分が嫌いだとしたら、

君の味覚はダメになっているから安心したまえ。

~チャールズ・スポルジョン~ 

 

人は本にしても聖書にしても、自分の好みを選び、また都合のいいように解釈してしまいます。これについては夕方シェアするもので詳しく分かち合いますが…

 

元ワーナーブラザーズ製作室長、小川政宏さんはこのようにスポルジョンのこの言葉を解説します。

 

言葉で人の心を動かす達人だったスポルジョンという人のテクニックの一つは、強烈な皮肉で人の目を覚ますことでした。私たち凡人にとって困るのは、その皮肉が効きすぎて、時として分からないことです! あまりにユーモアが凝っていると、10秒たってから人が笑いだすのと同じです。

 

彼は人間の聖書各書に対する選り好みを、身体的な味覚に例えたのです。人が味覚異常に陥ると、おいしい味とまずい味、好みの味と嫌いな味の区別がつかなくなります。最悪な場合は全く味が分からなくなります。それによって人は、自分の味覚がダメになっていることが分かり、治療しなければなりません。

 

「安心したまえ」が彼の皮肉でありユーモアです。普通の人なら、「気をつけたまえ」とストレートに警告するところです。彼はそれを、あたかも医者が、「君の隠れた病気が早く分かったから安心しなさい」と言うかのようにに、私たちの隠れた霊的危険性を指摘し、しかるべき対応を勧めているのです。(ちなみに「ダメになっている」と訳した原文corruptコラプトの意味は「腐敗する、崩壊する、堕落する」というかなりアブない状態です!)

 

そう、聖書に対する好き嫌いも、彼に言わせれば“霊的味覚異常”なのです。本来、神の言葉である聖書の各書・各語句は、“易しい・難しい”という感じ方の違いはあっても、あるいは“特に好き“はあっても、選り好みや好き嫌いがあってはならないものです。難しさのゆえに、ともすれば敬遠しやすい箇所があったら、意識して“深掘り“し、研究して、好きになるべき書物なのです。聖書は、一部語句の翻訳に異義のある個所はあるとしても、旧新約66巻全てが、そして全体として、原典において誤りなき神の言葉です。どの巻のどの言葉も、偏らず、選り好みせず、全てのページをひもといて、じっくりと味わうべき本なのです。好き嫌いをせずに食べる肉の糧によって身体の健康を保てるように、霊の糧であるみ言葉もまた、好き嫌いをせずに、良くにれはむことによって、心の健康を保てることを忘れずにいましょう。

 

強烈な皮肉とユーモアの陰で、スポルジョンが言いたかった本音が聞こえてきます。「もし諸君が、聖書の全てを愛しているとしたら、君の味覚はすこぶる健全だから安心したまえ。」と―。

 

さあ、“善は急げ”、あなたが最も苦手な聖書の一書を、今すぐ開いて見ませんか?

(Ⅱテモ 3:16) 「聖書はすべて神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練のために有益です。」

 

If you dislike certain portions of the Bible, rest assured that your taste is corrupt. 

– Charles Spurgeon