7年 | とある働き人の聖書のお話

とある働き人の聖書のお話

東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

東京から北海道に移住する前、

最長で、子供が落ち着く小学校に上がるくらいまで北海道にいるか、と思っていたのですが、まさかまさかで家が建ち、北海道に住み着くことに(;^_^A

 

その移住前、友から御言葉の分かち合いを北海道に行っても続けてほしい、と言われていた、それが今から7年前、6/9/2017にスタートしました。

まさか毎日こんなに続く(9/6/2018のブラックアウトによってネットに繋げなかった時以外)とは思いませんでしたが、子供に何か残せれば、と思い続けてきました。

 

神様の導かれる時まで、いましばらく続けようかと思います(;^_^A

 

ということで、↓はその第1回目の投稿、よければよんでくださいm(__)m

 

ー王の食卓に招かれたー

「メフィボシェテは王の息子たちのひとりのように、王の食卓で食事をすることになった。」
Ⅱサムエル記9章11節

 

前王のサウル…さんざんダビデを殺そうと追い回していた。そんな王は先の戦いで敗れ死んでいった。しかし、ダビデは友ヨナタンとの約束ゆえに彼の一族を守る…そしてダビデはサウルの一族であるにもかかわらず、またこのメフィボシェテは足がなえていて、周りからも見放されたものとなっていた。しかしダビデは彼を憐れみ、その王の食卓に招き、王の息子の一人のように迎え入れた…いや、当時のことを言うなら前王の一族は殺されても仕方ない、しかし受け入れられた。

 

この憐れみ深さには感服しますが、しかし王の王なるイエス様は、本来その食卓にあずかある資格のない王に敵対する一族、神さまから離れていたものにさえ憐れみをかけてくださった。王宮にふさわしくないとメフィボシェテは言われたかもしれない、しかしそのようなものにさえ憐れみをかけ、ヨナタンとの近いどころではない、イエス様の命ゆえに私たちをその食卓に招かれる。

 

ダビデはメフィボシェテに「私の食卓で、いつも食事をすることになる」と誓ったように、私たちにも霊的な食事をいつも与えてくださる。その食卓に私たちはとどまり続ける必要があるのではないでしょうか。