映画の十戒とかそういうので、
モーセという人が海を割って、イスラエルの民とともにエジプトから脱出した話はどこかで皆さん聞いたことがあると思います。
テオフィラクトという人はこのように記します。
モーセはしもべとして、神の御力によって海を分けた。しかし、すべてのものの上にいますキリストは、御自身の御力によって海の上を歩かれた。
確かに神様はモーセを通してイスラエルの民を救われました。
でも、そこで終わってはいけないんです。湖の上を歩かれたイエス様は、ペテロがそこまで行きたい、というと、歩かせてくださりました。イエス様は寓話だの何だのと揶揄する人がいますが、もし信じるなら、水の上を歩く云々は別として、イエス様の仰られることに従う時に、私達はイエス様の御心、御業を見、また体験させていただけるのです。その手を差し伸べ。たとえ嵐が吹き荒れようとも。切り開いて終わりではなく、そこから始まるイエス様との素晴らしい歩み、日々日々体験させていただこう、神様の御心を現してください、と祈り続けようではありませんか。