ー不安が払拭できなくてもー | とある働き人の聖書のお話

とある働き人の聖書のお話

東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

「あなたが心のうちで、『これらの異邦の民は私よりも多い。どうして彼らを追い払うことができよう』と言うことがあれば、彼らを恐れてはならない。あなたの神、主がパロに、また全エジプトにされたことをよく覚えていなければならない。あなたが自分の目で見たあの大きな試みと、しるしと、不思議と、力強い御手と、伸べられた腕、これをもって、あなたの神、主は、あなたを連れ出された。あなたの恐れているすべての国々の民に対しても、あなたの神、主が同じようにされる。あなたの神、主はまた、くまばちを彼らのうちに送り、生き残っている者たちや隠れている者たちを、あなたの前から滅ぼされる。彼らの前でおののいてはならない。あなたの神、主、大いなる恐るべき神が、あなたのうちにおられるから。あなたの神、主は、これらの国々を徐々にあなたの前から追い払われる。あなたは彼らをすぐに絶ち滅ぼすことはできない。野の獣が増してあなたを襲うことがないためである。あなたの神、主が、彼らをあなたに渡し、彼らを大いにかき乱し、ついに、彼らを根絶やしにされる。また彼らの王たちをあなたの手に渡される。あなたは彼らの名を天の下から消し去ろう。だれひとりとして、あなたの前に立ちはだかる者はなく、ついに、あなたは彼らを根絶やしにする。あなたがたは彼らの神々の彫像を火で焼かなければならない。それにかぶせた銀や金を欲しがってはならない。自分のものとしてはならない。あなたがわなにかけられないために。それは、あなたの神、主の忌みきらわれるものである。忌みきらうべきものを、あなたの家に持ち込んで、あなたもそれと同じように聖絶のものとなってはならない。それをあくまで忌むべきものとし、あくまで忌みきらわなければならない。それは聖絶のものだからである。」

申命記7章17-26節

 

私たち人はいつでもポジティブでいられるわけではないです。抑え込んで、我慢する、それが結局自分を追い詰める。それがいつかプラスになって返ってくると考えやすいのですが、果たしてそうでしょうか。誰が返すんですか?同じ状況になって、それを保証するものがいったいどこにあるでしょう。しかし神様は、これまた私たちが勘違いしがちですが、我慢我慢、天国に行くまでは我慢、とは仰っていない。神様はあなたと歩むために御子イエス様を人として生まれさせてくださった。共に重荷を負い、あなたを解放するため。私たちは神様を頼ることを我慢するのではなく、神様を求めよう。神様は応えて下さるから。黙っておられる神様ではないから。

 

さて、↑は約束の地を目の前にモーセが死ぬ、その前に最後に神様はモーセに、第2世代にも神様が命じられたことをことごとく語るように命じられ、今2番目の説教に5章から入っています。↑は神様が彼らを、また私たちを宝としてみてくださり、また恋い慕うほどに愛されている、その愛を現される約束の続きになります。いくら愛されていても心配なものは心配、そこで神様は我慢しなさい、とかそう語るのではなく、なお優しく語りかけられるのです。

 

神様はモーセを通してなお「あなたが心のうちで、『これらの異邦の民は私よりも多い。どうして彼らを追い払うことができよう』と言うことがあれば、彼らを恐れてはならない」と告げます。恐れてはいけない?そうじゃないのです。恐れるべきものを私たちは間違えてはいけない。

 

確かに第1世代は、巨人たちに恐れおののき神様に信頼しなかった。神様は同じように約束の地を与えてくださっていると約束してくださっていたのに、巨人族から40日の偵察期間守られていた、養われていたにも関わらず、悪評をヨシュアとカレブ以外の偵察に行った10人は民に流し、神さまへの信頼ではなく、敵を恐れさせ、大きな失敗をし、荒野を40年彷徨う形となるのでした。

 

8章で改めて見ますが、神様は最初から全てを備えてくださっていたのです。そして、第2世代に、彼らの親世代、また先祖たちがエジプトで苦しんていた時の事を思い出すように、「あなたの神、主がパロに、また全エジプトにされたことをよく覚えていなければならない。あなたが自分の目で見たあの大きな試みと、しるしと、不思議と、力強い御手と、伸べられた腕、これをもって、あなたの神、主は、あなたを連れ出された。あなたの恐れているすべての国々の民に対しても、あなたの神、主が同じようにされる。あなたの神、主はまた、くまばちを彼らのうちに送り、生き残っている者たちや隠れている者たちを、あなたの前から滅ぼされる」と改めて伝えます。

 

エジプトになしたことは、一度切り、たまたま起こったことではなく、神様がなしてくださったこと。エジプトから救い出された神様は、ある一時だけ、気まぐれの神さまではなく、彼ら・あなたを恋い慕う神様の愛は変わらないのです。

 

エジプトで10の災いをもってイスラエルを救い出された、ということを覚えているでしょうか。出エジプト記を分かち合わせていただいた時に、ただ単純にイスラエルの民を苦しめるエジプトに災いを降した、というわけではないという話を分かち合わせていただきましたね。実際に降された災いは、ナイル川の水を地に変え、エジプト中の水が血に変わったこと、次にカエルが満ち溢れたこと、そしてブヨ、アブ、疫病、腫物、雹、イナゴ、立ち上がれないほどの暗闇、そして最後にエジプト獣の初子が打たれる、というものでした。

 

同じエジプトに住むイスラエルの民は守られ、エジプトは?神さまは彼らに悔い改めの機会を与え、先に警告をしていました。しかし、ファラオはこれをのらりくらりとごまかし、裁きが進行していったのでした。つまり神様のお働きは継続的です。全治を揺るがす力があり、神さまを求める人を神さまはお救いになる力を持っておられます。最後にファラオの心を変え、イスラエルの民を行かせたように。

 

そしてもう一つは、これらの裁きの背後には、イスラエルの民を苦しめる、偽の神々(偶像)がいました。それらを、裁きを通じて何の力も持たないことを示しつつ、神様の他に神々はおらず、なお神様は私たちを囲う様々な問題、苦しみ、悲しみ、何より罪、サタンを打ち砕くことができる、帰ることができることを締めされたのです。そして、心変わりしたファラオ率いるエジプト軍を最後は紅海を割ることでしずめ、もはやイスラエルの民を追うことができなくされた、神様が前後を守られ、救い出されたのです。どんなに私たちの周りが変容しようとも神様は昔も今も、これからもい続ける神様、この方がこの先も共に進まれ、戦われ、彼らを、またあなたを導かれるのです。

 

神さまはこれから先に入っていくそうした偶像に頼るのではなく、神様が必ず守られるとここで誓ってくださった、だからそれらの偶像、形も力もないものに頼るのではなく、聖絶、神さまにそれらの重荷、問題をお返しし、信頼し、委ねること、その中に神様が必ず同じように、すべてを作り変えてくださると約束をされた、神様がです。そうした「神様が忌み嫌われる」こと、偶像事態ということもありますが、あなたを引き下ろそうとする様々な問題、罪、サタンを忌み嫌う、これらに奪われることを何より嫌われるのです。

 

私たちは神様に立ちかえり、委ねよう。神様はあなたを救うためなら御子イエス様の命さえ惜しまず与えてくださった。私たちの重荷を、罪を、その罰を、忌み嫌われるすべてを身代りに背負われ、十字架にかかられ、死なれたのです。しかし3日目によみがえられたことによって、これらすべてに完全に勝利された、もはやこれらは、イエス様のこの十字架の前に悔い改め立ち返るすべての人を追いかける、神様の愛から引き離すことはできないのです。

 

神様の家族として、イエス様の命をもってまで迎え入れてくださった神様は、信じるすべての人に同じ復活の恵み、神様の子として迎え入れ、あなたを世の終わりまで、天の御国にゆくその日、また死して後もあなたを迎え入れて下さるのです。エジプトの中には神様を受け入れ、一緒についていきたいという人もいましたが、お同じように神様の愛は、あなたの周りまで溢れ広がり、帰る力を持っています。あなたを支配する様々な問題も、神様のこの愛の前には立ち上がれません。私たちはあなたを愛する神様のもとに帰り、御霊様に導かれ、イエス様の命をもってまで開かれたこの新しい命を喜び歩ませていただこうではありませんか。あなたは1人ではない。このイエス様が世の終わりまであなたとともにおられるから。