ー言い広めるべき話はー | とある働き人の聖書のお話

とある働き人の聖書のお話

東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

「ゲラサ地方の民衆はみな、すっかりおびえてしまい、イエスに自分たちのところから離れていただきたいと願った。そこで、イエスは舟に乗って帰られた。そのとき、悪霊を追い出された人が、お供をしたいとしきりに願ったが、イエスはこう言って彼を帰された。『家に帰って、神があなたにどんなに大きなことをしてくださったかを、話して聞かせなさい。』そこで彼は出て行って、イエスが自分にどんなに大きなことをしてくださったかを、町中に言い広めた。」

ルカによる福音書8章37-39節

 

人の噂も75日、と言いますが、最近の世の中では、人を傷つける言葉がずっと残り続けている。デジタルタトゥーと呼ばれる形で。もちろんSNSの影響もあるかもしれませんが。ただ悪い噂を流し続けても、その人のためにはならないですし、良いものは何も生み出せないでしょう。アドバイスと悪い噂は違いますからね。民数記などで、偵察から帰ってきた12人の内10人が、せっかく神様が巨人族から40日間守り養ってくださっていたにもかかわらず、悪評をばらまいたことを覚えているでしょうか。それを聴いた民が憔悴し、絶望したのを。しかし神様は絶望させる神様ではなくあなたを赦し、立ち上がらせてくださる神様。この事を覚えよう。神様はあなたに大いなる事をして下さることを。

 

さて、話の本題に入る前に、前の箇所では途中で途切れてしまっていて申し訳ありません。見落とすというとんでもないことをしてしまいました。ただ、↑の短い箇所の中にもたんまりと神様の恵みがルカを通して書き残されているので、見ていきたいと思います。

 

話を進めて、↑はイエス様が人となってお生まれになり、公生涯が始まったある日、イエス様がゲラサ地方というところに弟子たちとともに向かいました。そこには墓場に住み着く、悪霊に憑かれている人がいて、その悪霊を追い出され、悪霊が豚に移してほしい、と願いでた上、豚に移し替え、豚は湖に沈むのでした。

 

もちろん、悪霊を追い出さしていただいた男性は大喜びです。ところが、言うまでもなく豚を飼育している人たちからしてみたら、経済的損失は計り知れません。ただ、経済と悪霊から解放されること、どちらが大事なのか、言うまでもありません。何より、サタンに支配されるよりも、イエス様の命に満ち溢れることがどれだけ喜びと感じられるだろう。彼らには隣人を思う心がなかったのでした。彼が回復されていくことを。

 

もちろん、彼らの言い分はわからないこともないのですが、じゃあ彼らの損失を神様は助けてくださらないのだろうか。旧約聖書の分かち合いでは今申命記を見ていますが、エドム、モアブ、アモンというイスラエルの兄弟部族・国家を神様は、彼らをちゃんと養っていた事を見ましたね。彼らは自分たちの祝福に気づかずに、イスラエルをよく攻撃するのですが、神様は十分に備えてくださっていたのです。

 

私たちは何かを失ったときに、悪霊とは言わずとも様々な思いに支配されます。しかし、神様はそんな敵対してこようとする国を守られたように、どうしてあなたのうちにご自身のみ心を現されないことがあるだろう。↑のゲラサ人のように何を怯える、恐れる必要があるだろう。イエス様は私たちを解放しに来られた。私たちのうちを支配する何かを追い出し、神様の大いなることをあなたのうちに成してくださるのです。むしろ、私たちは自分のうちにある何かを傷つけること、汚れた舌、それらを洗い聖めていただき、我が内に住んでください、と祈ろうではありませんか。

 

イエス様は彼に、「家に帰って、神があなたにどんなに大きなことをしてくださったかを、話して聞かせなさい」と仰られた。元悪霊に憑かれていた人をお供にするのは、と考えたのではなく、イエス様の大いなることはこれからも続く。いっときでは終わらない。追い出したゲラサ地方の群衆のようにではなく、悪霊を追い出してくださり、なおも今、イエス様は彼のうちに、また私達のうちに大いなることをしてくださる。解放して終わりではない、彼がその大いなることを受け、変えられていくのです。

 

また彼を通して働かれる神様の引き続いた大いなる愛、ご計画を見、それを聞いた人たちが神様に立ち返ることを願ったのです。悪いデジタルタトゥーではなく、神様の家族・子としての恵みが彼の内に刻まれる。私たちの内にイエス様の十字架に夜つ味のゆるし、聖霊様の証印が押され、私たちはこの聖霊様に励まされ、強められ、新しい命の道をイエス様と一緒に世の終わりまで歩ませてくださるのです。

 

私たちはいっときではない、永遠に続く神様の愛をもって人々に仕え、またこの愛を明かしするものとして用いていただこうではありませんか。神様がなさる大いなることが、神様を信頼するあなたを通して、御子イエス様の命をかけてまで愛しぬかれた神様のご計画がなることを信じて。