ある病気を持つおばあちゃんと青年 | とある働き人の聖書のお話

とある働き人の聖書のお話

東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

ネパールのある村で、と言っても随分前の話ですが、一人のおばあさんが喀血しました。医師・宣教師として来ていた岩村先生が呼ばれ、診察をし結果、その喀血の原因が大変複雑なものであるとわかり、どうしてもカトマンズの大きな病院へ連れて行かなければなりませんでした。ところが、交通機関が何もない。電車も、バスも、自転車さえ。

 

途方に暮れていると一人の青年が現れました。「自分は塩を買いにカトマンズに行くが、背中が空いているからおばあさんを背負っていきましょう。」

岩村先生は「すまんなあ」と言って、青年の背中におばあさんを載せて一緒に出発しました。

 

そうやって3日3晩歩きとおし、やっとのことで街の病院につきました。さすがに青年は疲れ果てていましたが、無事におばあさんを入院させることができました。岩村先生は青年にお礼を言っていくばくかのお金を渡そうとしました。

 

すると青年は少し怒った顔をして言いました。

「私はお金のためにおばあさんを背負って歩いたんじゃない」

「では何のために?」

「サンガイジュネコラギ」=「他人のために何かを」

 

イエス様は、大事なことは何ですか?とある人に尋ねられた時、神を愛する事、そして「あなたの隣人(=隣に住む人や仲のいい人だけじゃなく、仲の悪い人も、困っている人も)をあなた自身のように愛せよ」の2つと答えました。彼はこれを実践した。愛することは実践する事。その行動は人それぞれでいい。でもあなたの愛を通して神様は何かをなされる。

 

私たちに出来ることは小さくても、誰かを非難、批判するよりも、祈ろう。誰か困っている人の話を、悩みを聞くことだってできる。

 

そしてもう一つ、イエス様は、あなたに理由なしにあなたを愛し行動する。あなたが大切な子ゆえに。行いによらない。あなたが癒される、救いを得るためなら、あなたの重荷も罪も全部背負って十字架にかかられ、死なれ、3日目に蘇り、これらを完全に打ち砕かれ勝利された。あなたはこの勝利をもう得ている。イエス様と一緒に癒された新しい神様の子としての旅路を歩もう。