ー悲しみの引き金を引いたのはー | 子育て休職中牧師の聖書のおはなし

子育て休職中牧師の聖書のおはなし

東京で牧師をしておりましたが、子育てのため一時的に北海道に移住しました。
「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」と語られた神様からのラブレター・聖書から少しずつ分かち合わせていただきますね(*^_^*)

「私はまた、そのとき、あなたがたのなすべきすべてのことを命じた。私たちの神、主が、私たちに命じられたとおりに、私たちはホレブを旅立ち、あなたがたが見た、あの大きな恐ろしい荒野を、エモリ人の山地への道をとって進み、カデシュ・バルネアまで来た。そのとき、私はあなたがたに言った。『あなたがたは、私たちの神、主が私たちに与えようとされるエモリ人の山地に来た。見よ。あなたの神、主は、この地をあなたの手に渡されている。上れ。占領せよ。あなたの父祖の神、主があなたに告げられたとおりに。恐れてはならない。おののいてはならない。』すると、あなたがた全部が、私に近寄って来て、『私たちより先に人を遣わし、私たちのために、その地を探らせよう。私たちの上って行く道や、入って行く町々について、報告を持ち帰らせよう』と言った。私にとってこのことは良いと思われたので、私は各部族からひとりずつ、十二人をあなたがたの中から取った。彼らは山地に向かって登って行き、エシュコルの谷まで行き、そこを探り、また、その地のくだものを手に入れ、私たちのもとに持って下って来た。そして報告をもたらし、『私たちの神、主が、私たちに与えようとしておられる地は良い地です』と言った。しかし、あなたがたは登って行こうとせず、あなたがたの神、主の命令に逆らった。そしてあなたがたの天幕の中でつぶやいて言った。『主は私たちを憎んでおられるので、私たちをエジプトの地から連れ出してエモリ人の手に渡し、私たちを根絶やしにしようとしておられる。私たちはどこへ上って行くのか。私たちの身内の者たちは、【その民は私たちよりも大きくて背が高い。町々は大きく城壁は高く天にそびえている。しかも、そこでアナク人を見た】と言って、私たちの心をくじいた。』それで、私はあなたがたに言った。『おののいてはならない。彼らを恐れてはならない。あなたがたに先立って行かれるあなたがたの神、主が、エジプトにおいて、あなたがたの目の前で、あなたがたのためにしてくださったそのとおりに、あなたがたのために戦われるのだ。また、荒野では、あなたがたがこの所に来るまでの、全道中、人がその子を抱くように、あなたの神、主が、あなたを抱かれたのを見ているのだ。このようなことによってもまだ、あなたがたはあなたがたの神、主を信じていない。主は、あなたがたが宿営する場所を捜すために、道中あなたがたの先に立って行かれ、夜は火のうち、昼は雲のうちにあって、あなたがたの進んで行く道を示されるのだ。』主は、あなたがたの不平を言う声を聞いて怒り、誓って言われた。『この悪い世代のこれらの者のうちには、わたしが、あなたがたの先祖たちに与えると誓ったあの良い地を見る者は、ひとりもいない。ただエフネの子カレブだけがそれを見ることができる。彼が踏んだ地を、わたしは彼とその子孫に与えよう。彼は主に従い通したからだ。』主はあなたがたのために、この私に対しても怒って言われた。『あなたも、そこに、入れない。あなたに仕えているヌンの子ヨシュアが、そこに、入るのだ。彼を力づけよ。彼がそこをイスラエルに受け継がせるからだ。あなたがたが、略奪されるだろうと言ったあなたがたの幼子たち、今はまだ善悪のわきまえのないあなたがたの子どもたちが、そこに、入る。わたしは彼らにそこを与えよう。彼らはそれを所有するようになる。あなたがたは向きを変え、葦の海への道を荒野に向かって旅立て。』すると、あなたがたは私に答えて言った。『私たちは主に向かって罪を犯した。私たちの神、主が命じられたとおりに、私たちは上って行って、戦おう。』そして、おのおの武具を身に帯びて、向こう見ずに山地に登って行こうとした。それで主は私に言われた。『彼らに言え。【上ってはならない。戦ってはならない。わたしがあなたがたのうちにはいないからだ。あなたがたは敵に打ち負かされてはならない。】』私が、あなたがたにこう告げたのに、あなたがたは聞き従わず、主の命令に逆らい、不遜にも山地に登って行った。すると、その山地に住んでいたエモリ人が出て来て、あなたがたを迎え撃ち、蜂が追うようにあなたがたを追いかけ、あなたがたをセイルのホルマにまで追い散らした。あなたがたは帰って来て、主の前で泣いたが、主はあなたがたの声を聞き入れず、あなたがたに耳を傾けられなかった。こうしてあなたがたは、あなたがたがとどまった期間だけの長い間カデシュにとどまった。」

申命記1章18−46節

 

悲しみ、なにか起こるには何かしらの理由なり、原因があります。何も考えずに繰り返せば、3度めの正直ではなく、2度あることは3度ある、という真逆の結果を引き起こしかねません。私たちを整えてくださる神様にいつも聞き、歩ませていただきたいものです。

 

さて、↑は約束の地を目の前に、いよいよモーセが死ぬ、その前に最後に神様はモーセに、第2世代にも神様が命じられたことをことごとく語るように命じられ、これまでの旅を混ず振り返っている場面になります。↑は特に、なぜ第1世代が、荒野をさまようことになったのか、それを2度と繰り返さないために、その理由を第2世代に神様は、モーセに語るように命じたのでした。

 

そもそも、本当はこのときより40年前に約束の地に、11日でたどり着くところだったのです、彼らの親の世代は。ところが、40年もの間荒野を彷徨い、ようやく約束の地についた。その原因について民数記のときにも見ましたが、神様は一言も偵察に行くようにと指示はしていないのです。神様は「あなたがたは、私たちの神、主が私たちに与えようとされるエモリ人の山地に来た。見よ。あなたの神、主は、この地をあなたの手に渡されている。上れ。占領せよ。あなたの父祖の神、主があなたに告げられたとおりに。恐れてはならない。おののいてはならない」と命じられました。もう神様は彼らの手に約束の地を渡しているのだから恐れず、攻め上るように、というのです。偵察しなくても神様が約束され、ともに進まれる、これまでのように火の柱、雲の柱をもってご臨在くださり共に進まれるから、恐れることはないんだ、と。

 

ところが、第1世代は「私たちより先に人を遣わし、私たちのために、その地を探らせよう。私たちの上って行く道や、入って行く町々について、報告を持ち帰らせよう」と言って、神様がおっしゃられたこととは違う道を混ず選んだ、そしてモーセもこれを了承した、ここに第一の原因があたのです。まあ、第2世代も偵察に向かうことになるのですが、結果、彼らは神様を恐れ、救いを求める人達を助け出す(バアル教というカルト宗教に囚われた家族)ことになるのですが。そういう意味では、神様は以前の失敗があろうとも、すべてのことを働かせ、益としてくださる事を教えてくださっているように考えられますね。だから、恐れてはいけない、と。

 

話を戻し、彼らの言い分は要するに、その地を偵察して、気に入ったら行く、気に入らなかったら行かない、そんな我儘からくるものでした。しかし、それでも神様は彼らをその時点で不信仰だ!と見捨てることなく、偵察に行った40日の間、巨人族たちがいる中にあっても、↑のように恐れ、悪評を伝えなければいけないほどの状態であってにもかかわらず、神様は彼らを40日の偵察していた間、巨人族から守り、また養い守られ、無事に元ベースキャンプに帰らせてくださったのです。それにも関らず悪評を伝えた、カレブとヨシュアを除いた10人。その彼らの不信仰故に、40年間荒野をさまようことになったのですが、ここに隠れた第2の原因が見えます。

 

この先再び戦いに行く際にヨシュアはことごとく祈り進みます。祈らなかったときは実は敗戦するのですが。そう、モーセは神様から言われたことに対して、それをそのまま行わず、民から提案された時に、神様に祈って、そうすべきかどうか神様に伺わなかった。私たちはこれくらい別にどっちでも良いのでは、と思うことでも、時にはサタンも含め、罠が潜んでいることもある。神様は大丈夫、と言ったら大丈夫なのです。恐れる必要はないのです。いや、正しく恐れる、いつも神様の喜びがあふれるよう祈り、神様が感謝に溢れさせてくださる、その確信に立って進みたいものです。ヨシュアたちはこれを行い、ついには第1世代の恐れていた巨人族や強敵に対しても、勝利を治めるのですが。

 

神様は世代が変わろうと、神様の恵みは変わらない。どんな場面であろうと。神様の御手があなたを包んでおられるからこそ、大丈夫。だから神様に信頼したいものです。ただ、彼らの世代は、40年荒野をさまようの?じゃあやっぱり攻め上ろう、と身勝手な行動に出ますが、神様は彼らとは共におられないので敗走することとなったのです。それは、じゃあやっぱり、なんて神様を求めてのことよりも、自分たちが荒野を彷徨いたくないから、という自己都合ではありませんか。神様が意地悪なのではないのです。

 

私たちは忘れてはいけません。「神様が」決して私たちを悲しみに陥らせることはされません。世が、たとえあなたを苦しみ、艱難に合わせようとも、悲しみのどん底から引き上げてくださる方であることを。神様は第1世代を初めは約束の地に導こうとなんとかしていた、日々日々養い、戦いからも守ってくださっていた、しかし、彼らは神様を試み続けたのです。しかし、だからといって神様は全員荒野で滅ぼすことはせず、第2世代もここまで守り導いてくださった。彼らは、私たちは今、神様の恵みを知っているのです。特に私達は御子イエス様を私達が滅びることなく永遠の命を持つために、私達の身代りに十字架にかけ、死なせたのです。そして滅びの世代ではなく新しい世代、新しいあなた、神様の家族・子へと、イエス様が3日目によみがえられたことによって、信じるすべての人を迎え入れてくださるのです。

 

神様は御子イエス様の命をもってまであなたに今もう一度命の道に引き戻してくださった。救い野道を示され、ここから先、戦いは続けども、神様が彼らとともにおられたように、私たちをも艱難苦難の中から救い出してくださる。悲しみのトリガーをもう私達自身で引くのではなく、神様の究極の愛、御子イエス様の命をさしだすという悲しみのトリガーを引いてまであなたを救わんとされた神様の愛に生かされ歩もう。勇敢に歩もう。神様はあなたとどんな時も共におられ、養い、守られ、導かれ平安の義の実を結ばせていただけるから。イエス様が身代りに懲らしめを受けられたことによって、私たちに平安の義の実を結ばせて下さるから。