もう無理と思う中で絞り出された一滴 | とある働き人の聖書のお話

とある働き人の聖書のお話

東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

サーカスで筋肉隆々たる大男が、黄色いレモンを手に登場しました。慣習にレモンを見せるや、渾身の地おからを込めて握りつぶしました。やがて最後の一滴がポタン、と床の上に落ちました。

 

かすかすになったレモンを観衆に突き出しながら、大男は言いました。「もし皆さんの中でこれを握りなおして一滴で模範的でもジュースを出せるなら、100万円を現金で差し上げます。」一人の男が札束をテーブルの上に積み上げた。場内は水を打ったように静まり返った。誰も出る者はいない。

 

と、ひとりのやせぎすの男が、人々をかき分けて出てきた。やがてこの男はしばし天を仰ぐや、ギュッとこれを握った。2回、3回。やがて小さな一滴がぽたりと落ちた。

 

大男は色を失って叫んだ。「あなたは誰ですか?」

胸を張って男は答えた。

「私はキリスト教会の会計係です。」

 

ーK巡回伝道師のコラムよりー

 

それにしても神様は、私たちの手ではもう出し尽くした、もう無理だ、という中でも最後の一滴までその愛を絞り出されます。これくらいでいい、とか中途半端な愛ではない。あなたのためにイエス様のいのちも、いやそれに据えてすべてのものをあなたに与えてくださる。私たちもイエス様の前にあきらめず、最後の一滴までその思いを注ぎだそう。その力を出すのはあなたじゃない、神様が出されるから。これに期待しよう。その一滴があなたの魂に命をあふれさせてくださるから。