イギリスを旅行していたある人が、
ある工事現場の前を通りかかりました。
壮大な工事現場で、レンガを積んでいました。
一人の男に彼は尋ねました。
「なにができるんですか?」
そうしたら、その男はふてくされて、言ったそうです
「レンガを積んでるだけだ」「レンガを積んでいるんだよ」
「ああそうですか。すみません」
次の人にまた聞きました。
「何かできるんですか?」
「時給800円だよ。時給800円だよ!」
「ああそうですか。すみません」
3番目の男に、
「何ができるんですか?」
すると、彼は汗を拭きながら、顔の泥をふきながら、輝くばかりの顔を上げて言いました。
「旦那、やがてここに、イギリス一の大聖堂ができるんです。その基礎工事を、今やっているんです。」
同じ時間に、同じ場所で、同じ仕事をしながら、こんなに違う。
「見りゃあわかるんだろうよ。レンガ積んでんだよ」。これだと、「私はレンガ、私の人生はレンガ。もう、レンガそのもの」ですね。
「時給800円だよ」、これだと「おれ800円。800円人生」になってしまうじゃないですか。喜びも感謝もなく、ただ、辛い辛い、安い安い、不平だらけです。
同じように泥にまみれ、汗にまみれ、くたくたになっていても、3人目の男は、「だんな、基礎工事ですよ。やがてイギリス一の大聖堂がここにできるんです。その基礎のレンガを積んでいるんです」。この男性の心の中には、「これがやがて完成したときに、たくさんの人たちがこの聖堂にやってきて、慰めを受け、励ましを受け、人生の力を得て、イエス・キリストに出会い、神様の愛を知って信仰の救いを受ける。」
こういう壮大な神様の働きの中で、今、自分は、泥だらけになってレンガを積んでいる。ああ、しかし、なんという誇り高い、喜びに満ちた、意味のある労働だろう。なんという誇り高い重労働に携わっていることでしょう。これが「心の貧しい人は幸いだ。天国は彼らのものである」という意味なのです。
自分の仕事、人生が無意味なんてことはない、神様が与えられた人生です。御子イエス様の命をもって取り戻されたあなたの命です。イエス様が一緒に建てあげてくださる。さあ、勇気をもって立ち上がろう。