ある工事現場にて:意味・喜びある労働 | とある働き人の聖書のお話

とある働き人の聖書のお話

東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

イギリスを旅行していたある人が、

ある工事現場の前を通りかかりました。

壮大な工事現場で、レンガを積んでいました。

 

一人の男に彼は尋ねました。

「なにができるんですか?」

そうしたら、その男はふてくされて、言ったそうです

「レンガを積んでるだけだ」「レンガを積んでいるんだよ」

「ああそうですか。すみません」

 

次の人にまた聞きました。

「何かできるんですか?」

「時給800円だよ。時給800円だよ!」

「ああそうですか。すみません」

 

3番目の男に、

「何ができるんですか?」

すると、彼は汗を拭きながら、顔の泥をふきながら、輝くばかりの顔を上げて言いました。

「旦那、やがてここに、イギリス一の大聖堂ができるんです。その基礎工事を、今やっているんです。」

 

同じ時間に、同じ場所で、同じ仕事をしながら、こんなに違う。

「見りゃあわかるんだろうよ。レンガ積んでんだよ」。これだと、「私はレンガ、私の人生はレンガ。もう、レンガそのもの」ですね。

「時給800円だよ」、これだと「おれ800円。800円人生」になってしまうじゃないですか。喜びも感謝もなく、ただ、辛い辛い、安い安い、不平だらけです。

 

同じように泥にまみれ、汗にまみれ、くたくたになっていても、3人目の男は、「だんな、基礎工事ですよ。やがてイギリス一の大聖堂がここにできるんです。その基礎のレンガを積んでいるんです」。この男性の心の中には、「これがやがて完成したときに、たくさんの人たちがこの聖堂にやってきて、慰めを受け、励ましを受け、人生の力を得て、イエス・キリストに出会い、神様の愛を知って信仰の救いを受ける。」

 

こういう壮大な神様の働きの中で、今、自分は、泥だらけになってレンガを積んでいる。ああ、しかし、なんという誇り高い、喜びに満ちた、意味のある労働だろう。なんという誇り高い重労働に携わっていることでしょう。これが「心の貧しい人は幸いだ。天国は彼らのものである」という意味なのです。

 

自分の仕事、人生が無意味なんてことはない、神様が与えられた人生です。御子イエス様の命をもって取り戻されたあなたの命です。イエス様が一緒に建てあげてくださる。さあ、勇気をもって立ち上がろう。