偶然、それはたまたまであって、それは完全なものにはなりえないですね。
そして継続的にそれは怒らない。
そこには頼れず、心もいつか疲弊してしまいます。
旧約聖書の第一ページを開いてみると、そこには「はじめに、神が天と地とを創造された。」と書いてあります。
アメリカの初代大統領ジョージ・ワシントンは、子供の頃から父親によってこのことを徹底的に教え込まれた人だった。ある時、父は内緒で庭に「George Washington」(ジョージ・ワシントン)という字の形に草花の種を蒔いておきました。
ある朝、ジョージは自分の名前のとおりに草花が生えているのを見て驚き、父親に話した。
「それはきっと自然に生えたのだろう」。
「決してそんなことはありません。だれかが考えて種を蒔いたのです。きっとお父さんでしょう?」
「そうだよ。でもジョージ。考えてみておくれ。お前が見て驚いた草花の文字よりも、もっと素晴らしく整った宇宙や世界や自然界や私やお前を…。それが全部自然にできたのだという人もいるね。しかし決してそんなことはないんだ。父なる神様がお考えになり、ご計画になり、お造りになり、今も支配していらっしゃるのだ。わかるかい?」
「はい、お父さん。よくわかります。」
「だからお前は、私たちを守っていてくださる神様の前で生きているのだということを忘れてはいけない。」
「はい、お父さん。」
ワシントン記念館には彼が愛用した古ぼけた大きな聖書が展示してある。ワシントンは大統領になったとき、この聖書の上に手を置いて、「神よ、私をお助け下さい」と祈ったという。
「神の存在と聖書がなければ、この世界を正しく治めることはできない。」
(ジョ-ジ・ワシントン)
さて、あなたは偶然を求め、偶然の中に生きるか、
それとも神様の愛、御子イエス様の命さえ惜しまない、必然の愛に生きるか。
あなたはどちらですか?