何もかも失ったとしても収穫を待とう | とある働き人の聖書のお話

とある働き人の聖書のお話

東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

ここ数年、様々な戦いが続いてますね。こんな事を書いている私自身も病や何やら様々な戦いにさらされていますが^^;いつ終わるか分からない。どこに良いものが見出せようか、終わりが告げられるのか不安に包まれます。
恐れが支配すると、心も疲れて、誰に何を求めるべきかまで見失う。
 
しかし、スポルジョンはその著書にこう書き記します。
「もし収穫のない季節が訪れたら、種蒔きはやめにせずばなるまい、などということを想像してはならない。私たちの仕事は、行動することであって、結果を見ることではないのだ。」
 
神様は今も働かれている。
何の収穫もない?しかし、神様は御子イエス様の命をあなたに与えるほどに愛されたのです。あなたを。神様が日々種を撒き、私たちがこんなもの!と思うような中にも助けを、必要を与え、それ以上に神様自身があなたとともにいる。働かれている、あなたを愛されている方が働かれていることを忘れてはいけません。
 
神様に祈り求める、信頼する、委ね行動を起こそうではありませんか。実を結ばせるのは神様だから、恐れることはないのです。仕事でも家族でも、隣人でも、愛を表す行動に出よう。そのうちに神様の御心が働かれる。あなたをイエス様から引き離すことができるものは何もなく、むしろイエス様があなたのうちに驚くべき御業をなしてくださる。
 
だからこそ私たちはやがて素晴らしい実を見る日が来ることに大いに期待しよう。神様が結ばれた実を。