そこ・底に残るのは… | とある働き人の聖書のお話

とある働き人の聖書のお話

東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

最近いろんな課題を自身が抱えていますし、

昨日、悲しいニュースをネットを通していることとなりました。

具体的には書けないのですが、一つのグループがなくなってしまった(解散)事…

嫌な予感はずっとしてはいたのですが…

 

以前分かち合いましたヨブという災難にあった人が告白したこの言葉を今思っています。

「このとき、ヨブは立ち上がり、その上着を引き裂き、頭をそり、地にひれ伏して礼拝し、そして言った。『私は裸で母の胎から出て来た。また、裸で私はかしこに帰ろう。主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。』」

 

この時、だからこそ立ち上がり、神様に立ち返る。

神様が与えてくださったものを大事にする。またその愛を蒔き続けること。

神様は与え、豊かな実を結ばせてくださることを昨日(1つ↓)の投稿で見ましたが、仮に失ったと思っても、神様が蒔かれたところには必ず命がある。そこから広がる。それを求めるかどうか。

 

何も見いだせないときこそ、すべてを与えてくださる神様に立ち返りたい。たとえこの世的な場所や土地を失っても、神様はそこにおられる。あなたのうちに働かれる。

神様の実を仰ぎ見させていただきたい。この世の目には失って見えても、必ず実はなっている。水をまき育て成長させてくださる神様にいつも信頼していたいものです。