「習」とは… | とある働き人の聖書のお話

とある働き人の聖書のお話

東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

私たちは勉強以外でも様々場面で習う。誰かに。

そうして成長していきますよね。

 

ある先生がこう言っていた。「習」という字は白く成って羽ばたくことである、と。私も大学時代の教授の初講義で、これを言われた。

これまでの知識は一度捨てて、一から学ぼう、と。

これがクラスの成績の分かれ目、私もプライドが邪魔をして成績が下がる…

 

私の話はどうでもいいんですけど、これとても大事なことだと思います。

自分の経歴、プライドが何になりますか。

新しいことが次々迫る中…

しかしイエス様は、私たちを新しくしてくださる。痛みも悲しみも、その十字架の血潮で塗り替えて下さる。あなたの重荷を下ろす時、あなたが神様に立ち返る時、あなたは新しくされる。

 

あなたのために命をかけるほどに愛されるイエス様が新しく、あなたの内に御心を描いていく、何と楽しみな事でしょう。神様の前に謙遜に遜り、委ねてみませんか。