ー数だけでは測り知れない愛ー | とある働き人の聖書のお話

とある働き人の聖書のお話

東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

「さて、モーセとアロンは、これら指名された者を伴い、第二月の一日に全会衆を召集した。そこで氏族ごとに、父祖の家ごとに、二十歳以上の者の名をひとりひとり数えて、その家系を登記した。主がモーセに命じられたように、モーセはシナイの荒野で彼らを数えた。イスラエルの長子ルベンの子孫は、氏族ごと、父祖の家ごとの、その家系の者であって、ひとりひとり名を数えられた二十歳以上で軍務につくことのできるすべての男子であった。ルベン部族で登録された者は、四万六千五百人であった。シメオンの子孫については、氏族ごと、父祖の家ごとの、その家系の者であって、ひとりひとり名を数えられ登録された二十歳以上で軍務につくことのできるすべての男子であった。シメオン部族で登録された者は、五万九千三百人であった。ガドの子孫については、氏族ごと、父祖の家ごとの、その家系の者であって、名を数えられた二十歳以上ですべて軍務につくことのできる者であった。ガド部族で登録された者は、四万五千六百五十人であった。ユダの子孫については、氏族ごと、父祖の家ごとの、その家系の者であって、名を数えられた二十歳以上ですべて軍務につくことのできる者であった。ユダ部族で登録された者は、七万四千六百人であった。イッサカルの子孫については、氏族ごと、父祖の家ごとの、その家系の者であって、名を数えられた二十歳以上ですべて軍務につくことのできる者であった。イッサカル部族で登録された者は、五万四千四百人であった。ゼブルンの子孫については、氏族ごと、父祖の家ごとの、その家系の者であって、名を数えられた二十歳以上ですべて軍務につくことのできる者であった。ゼブルン部族で登録された者は、五万七千四百人であった。ヨセフの子孫については、エフライムの子孫で、氏族ごと、父祖の家ごとの、その家系の者であって、名を数えられた二十歳以上ですべて軍務につくことのできる者であった。エフライム部族で登録された者は、四万五百人であった。マナセの子孫については、氏族ごと、父祖の家ごとの、その家系の者であって、名を数えられた二十歳以上ですべて軍務につくことのできる者であった。マナセ部族で登録された者は、三万二千二百人であった。ベニヤミンの子孫については、氏族ごと、父祖の家ごとの、その家系の者であって、名を数えられた二十歳以上ですべて軍務につくことのできる者であった。ベニヤミン部族で登録された者は、三万五千四百人であった。ダンの子孫については、氏族ごと、父祖の家ごとの、その家系の者であって、名を数えられた二十歳以上ですべて軍務につくことのできる者であった。ダン部族で登録された者は、六万二千七百人であった。アシェルの子孫については、氏族ごと、父祖の家ごとの、その家系の者であって、名を数えられた二十歳以上ですべて軍務につくことのできる者であった。アシェル部族で登録された者は、四万一千五百人であった。ナフタリの子孫は、氏族ごと、父祖の家ごとの、その家系の者であって、名を数えられた二十歳以上ですべて軍務につくことのできる者であった。ナフタリ部族で登録された者は、五万三千四百人であった。以上がモーセとアロン、またイスラエルの族長たちが登録した登録名簿である。この族長たち十二人は、それぞれ、自分の父祖の家のための者であった。それで、父祖の家ごとに登録された二十歳以上のイスラエル人で、イスラエルで軍務につくことのできるすべての者、すなわち、登録された者の総数は、六十万三千五百五十人であった。」

民数記1章17−46節

 

私は理系なので余計にそうなのですが、人は数字で物事を判断しやすい。それは数字にして出すと明確な場合が多いからなのかもしれませんが。会計などもそうですよね。ただ、数字だけではわからないことはたくさんありますし、その数字の奥に隠された本物の良さ、これは測り知れるものではありません。神様はたとえ小さくても、あなたを見ており、また愛し、喜ばれるのです。小さな群れよ、恐れることはない。天の父は喜んで御国を与えてくださるから。

 

さて、↑は昨日の続きになりますが、エジプトから神様から救い出され、2年目の第2の月の1日に神様が、イスラエルの民12部族の人口調査を命じられた、その調査結果が↑になります。60万3550人。ただ、これは軍務につける20才以上の男性の数字になりますから、女性や子ども、ご高齢の方や、何かしらの理由で戦いに軍務につけない人は数に入っておらず、おそらくその人たちを入れたら240万人くらいだったのではないか、と見えます。

 

なぜ彼らは数えられなかったのか、差別か?違います。神様はあくまで軍務につくことのできる人数を数えているだけです。女性には女性で役割を与えていましたし、神様は数字には現れない、1人1人の賜物、性質、能力を知っておられるのです。

 

そういう意味では、もちろんなにか戦いが起こった時に誰が戦いに出るのか、どう作戦を立てるのかを考える上で20才以上の軍務につける男性を数える、という意味がこの人口調査の中にあったかもしれません。ただそれだけではなく、この人口調査は、神様は彼ら一人ひとりのことを覚えておられるのになぜする必要があったのか?むしろどんな人がいて、どんな能力があって、どんな助けが必要な人がいるのかを把握し、互いに支え合い、助け合う、そういう目的があったのかもしれません。私たちはその数のうちに、いや1人1人のうちに、神様の恵みが注がれていることを忘れてはいけません。神様の恵みの数々がその人数以上に注がれるのです。その人その人に神様は計画を持ち、御心を現されるのです。

 

私たちもこの神様のリストに登記されていることを覚えたいものです。そして与えられている役割を祈りつつ、従いたいものです。そしてサタンや誘惑と戦う、その意識をもちつつ、まだイエス様のことを知らない人たちを助ける、その事も忘れてはいけませんね。

 

それは実は↑の部族ごとの数字にも見えるんです。これから向かう地のサイズは実際のところ小さく、四国くらいのサイズ。他国の人口を考えても多い方ではありません。しかし、エジプトにイスラエルの民が移住してきた約400年前はまだ70人だったのが、240万人近くに増えた、それほどに神様は小さな民であろうと、少数であろうと、弱くとも覚え、その中に働かれ、神様の御心が働き、星の数、海の砂の数のように増え大きく広がるのです。

 

また部族によっても人数が多いところと少ないところがあります。イスラエルの民の増え広がっていく元となるヤコブ、彼が特に愛していた女性に(諸事情で奥さんが2人、その奥さんそれぞれの奴隷2人)ラケルという人がいたのですが、その人から生まれでた部族、ヨセフ族(マナセ・エフライム族)とベニヤミン族がいますが、特にベニヤミン族は他の部族と比べても多い方ではないですね。ただでさえ少ないのに。近親相姦の罪を犯したルベン族より少ないですし、妹が辱められた復讐のためとはいえ、残虐行為を行い、父や神様に咎められたシメオン族よりも少ない。しかし、多い少ないではない。やはり神様は計画を持ち、やがてはこのベニヤミン族から古代イスラエル王国初代の王が出たり、のちの時代、伝道者として活動するパウロもこのベニヤミン族出身です。

 

私たちは少ない、小さい、弱い、と自分を卑下する必要などありません。あなたにはあなたへの神様の計画があり、あなたを用いられる。何よりそんな私たちを憐れみ、ルベン族やシメオン族を増やされたように神様の御心が現されるのです。あなたの持つ悩み苦しみ、思い煩い、何より罪を背負われ十字架に身代りにかかられ死なれたイエス様の愛が。そして3日目にイエス様がよみがえられたことによって、私達は神様の家族・子という大いなる恵み、特権に与らせていただけるのです。周りから見たら小さい、弱いと見えてもその内に復活のイエス様が住まわれ、大きく、数字では現せない大いなる恵み、御心によって強められ、広げられるのです。

 

小さな群れよ、恐れることはない。天の父は喜んで御国を与えられるから。イエス様の命を惜しまず与えるほどに愛された神様があなたのうちに見心を表される、それは何たる喜びでしょう。私達はこの神様にいつも信頼し、神様の家族として迎え入れられた喜びにあふれ、神様から与えられたこの命に生きよう。