キリストの肉を食べ、血を飲む人たち | とある働き人の聖書のお話

とある働き人の聖書のお話

東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

タイトルを見るとぎょっとするかもしれませんが、

とても手の届かないところにいる人に人は、お賽銭なり、金銭を払ってでも自分の願いを叶えようとする。そして叶わなければ文句を言う。まあ、半分は習慣でしているんでしょうけど。

 

でも、本来手の届かない、断裂された関係を飛び越え、イエス様は私達のところに来られた。和足したちが金銭を払ったら癒やすよ、とかそんなことは一度も言わなかった。イエス様は金銭を要求するどころか、逆にご自身のからだ、血を持って私たちを癒やされた。いのちをもって。十字架で私達の罪を赦し、新しくし、神様の子として迎え入れるべく。

 

私たちが払うべき金銭はイエス様がすでに支払ってくださったのです。私達はイエス様に立ち返り受け取るだけです。これだけの犠牲を、いのちを持ってまで愛されたイエス様があなたのうちになされること、大いに期待しようではありませんか。これを受け取るとき、もう永遠の命への道は始まっているのだから。イエス様が一緒に進まれるから。

 

ということで今日は日曜日なので、いつものようにしろくま先生の礼拝メッセージをシェアさせていただきたいと思います。よければ聴いて下さいm(_ _)m

 

ヨハネによる福音書6章47−58節

「キリストの肉を食べ、血を飲む人たち」