実はあなたという人は、私という人は | とある働き人の聖書のお話

とある働き人の聖書のお話

東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

あなたの価値。

誰にも求められていないのではないか、と時に不安になることもある。

誰の役に立ってもいないのではないか、と時に思うことがある。

・・・

挙げたらきりがない。

マイナスに少々考えすぎる。

でも実はあなたの価値はものすごいんです。

 

「あなたは誰かの祈りの答えとして神様が用意されている人である。」

 

あなたは神様の目に高価で尊く、愛されている存在。イエス様の命をかけてでも救おうとされるほどに愛されている存在。まずイエス様をあなたの答えとして神様は用意された、と言うよりも救いの道を。

 

そこまでされた神様があなたを用いられる、あなたのうちに働かれる。あなたは何よりイエス様が十字架上で「父よ、彼らをお赦し下さい。彼らは自分たちで何をしているのかわからないのです」と神の御子イエス様に赦しを懇願されたのです。

 

誰かに認められるために自分で足掻くのではない、そこに私達の価値を「自分で」見出すのではなく、神様に用いていただこう。「神様が」あなたを価値ある子とされたのだから。神様があなたを用いる中に神様は何かを成してくださるから…