夢を見たって良いじゃないか | とある働き人の聖書のお話

とある働き人の聖書のお話

東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

私の妻の口からたまに出てくる言葉は、

「夢を見るのはただだよね」

これで、結局マイホームが建っちゃったわけですが^^;

 

で、引っ越してから大体4ヶ月がたちますが、家庭での礼拝(某カルト団体じゃないですよ)も4ヶ月になり、妻と色んな夢やヴィジョンを昨日は語りあいました。

どんな教会にしようか、とか。名前は?とか。

楽しいですよ〜

 

聖書にはこんな言葉があります。

「その後、わたしは、わたしの霊をすべての人に注ぐ。あなたがたの息子や娘は預言し、年寄りはを見、若い男は幻を見る。その日、わたしは、しもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。」

 

注がれて終わっても意味がないのです。

幻や夢を見たら、今度はそれを分かち合い、また神様が私たちに、あなたに委ねられた幻、夢、預言、これらに信頼し、神様が成されようとされることに従いたいものです。

そこには多くのみが結ばれていくから。たとえ自分の思うタイミングじゃなくとも、主の日が来るまでに必ず完成される。

また楽しみです\(^o^)/