安息な日 | とある働き人の聖書のお話

とある働き人の聖書のお話

東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

花嫁と花婿のリアルな関係について昨日の投稿でみました(1つ↓)が、

その時、安息日は花嫁とも呼ぶ話をしました。

 

どういうこと?という感じですが、実際どんな感じだったのか、なかなかおもしろいのでシェアしますね。安息の本質的な意味が見えてるので。

 

安息日に、まず身を清め、特別な衣服を着て(私たちでいうなら結婚式前日の自分の身を整えるようなものでしょうか?)、特別な食器を並べて、荒野の生活を覚える2つのパンを用意して、食事の用意を整えて、日没の安息日を迎えるそうです。そして、2つの燭台に明かりを灯します。この2つは平和と自由を象徴します。

 

この時実はお母さんがとても重要な役割を果たします。当時男性社会だったこの国で女性が重要な役割を果たす、とはそれだけでもすごい。束縛からの解放、神様へ向かっていく喜び、自由、平和を得るんでしょうね。そしてお母さんが「あなたの名により、我らを聖別し、安息日の光を灯すように命じたところの宇宙の王、我らの主なる神に栄光あれ」とお母さんが祈ったそうです。罪の中、悲しみ、暗闇の中に、どうかあなたが光と自由を与えて下さい、そのような中を歩ませて下さい、と祈る、何と素敵な祈りでしょう。

 

一方父親は会堂で祈りを捧げ、ラビ(先生)の話を聞きます。午後は時に会堂で聖書研究をするそうです。そして家に帰ると安息日の夕食が始まります。

 

息子にはこう祈るそうです。「エフライムとマナセのように良い子になりますように。」

娘にはこう祈るそうです。「サラ、リベカ、ラケル、レアのように賢い女性になるように。」

と祝福し、神様の道に歩むことを教えつつ祈ります。

(※ここにでてくる人達はイスラエルの始祖に関わる人達)

 

そして食事をし、親しい人を尋ね、時にカウンセリング(悩み相談など)や討論、ゲームまでしていたそうです。ちなみに、結婚適齢期の男女の出会う場にもなっていたそうです。

 

最後にメシアがくること(私たちの時代なら再臨)を祈るそうです。

 

本来神様との関係って、宗教的儀式なイメージ、精神的なイメージが持たれがちですが、

実際はこんなに喜び、平和が溢れる家族に神様は招かれている。神様が中心に灯火を私たちの内にともし、楽しませ、喜び、平安、不安やら何やらから開放してくださる。私たちはいつもこの花嫁の日・安息・神様のもとにいつもいたいものですね。