生きるではなく、生かされている(三浦綾子) | とある働き人の聖書のお話

とある働き人の聖書のお話

東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

私たちは、なぜ生きねばならないか…という問いを発しがちですが、生きるとか死ぬと かという人生の一大事の『なぜ』は、誰にも分からない。それよりも私たちは、誰も『生 きる』のではなく『生かされている』と考えると、おのずから生き方も変わってくる。

ー三浦綾子ー

 

させられている、ではない、されている、生かされている、そこには保証がある。

誰による保証?神様です。

私たちには生きるのが時に辛いことはあるかもしれない。

しかし、辛いという字に一本の線が加われば幸せになるように、

私達はこの神様があなたのうちに働かれるとき、ほんとうの意味で生きたものとなる。生き方はこの愛を受けると変わってくるのではないか。愛を受けた、命がけの愛を受けたもの、そこまであなたを愛してくださる方がいることを知るなら…