誇るのは… | とある働き人の聖書のお話

とある働き人の聖書のお話

東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

先日、某国の有名な、それこそ教会なんぞ知らない、という人でもその人の名前だけ走っているという方が天に凱旋された。この先の記事を書く前に、お疲れさまでした、そしてご家族の上に神様の慰めがあるようお祈りいたします。

 

ところで、なぜこの記事を当日書かなかったのかというと、

その方だから書くの?ふと思った。

TVでも、芸能人関係の方がお亡くなりになったりすると取り上げるけど、一般の人(言い方は悪いですが)について、いちいち取り上げないですよね。彼らのされたことについて素晴らしい、と思うからです。

 

で、冒頭の天に召された牧師先生、

某国で一番のメガチャーチ、韓国にリバイバルを起こしたと言われている(本当にリバイバルが起こっているなら、経済が落ち込んだときだけ教会に人が集まり、回復するとこなくなる、なんてことはありえないのですが)。

 

でも、リバイバル、なにか素晴らしいことを起こされるのは、誰か、ではなく聖霊様の働きです。イエス様が命を投げ出してまで私達の罪を赦された、それゆえにこの恵みが注がれる。褒め称える、誇るべき方を間違ってはいけないのです。

もちろんこの方のご家族様のために祈ります。関係者の方もお疲れでしょう。

 

でも、この牧師先生が素晴らしいのではなく、

神様のさらなる御業がなされ、神様の御国が来るよう祈ろう、神様の溢れんばかりの命が、喜びが、全地に満ち、酒の栄光だけが光り輝くことを切に祈り求めたいものです。