人の苦手なことは人をゆるすこと。正しく。
ただ、妥協するわけでもなく、本来あるべき方向に進まなければ意味がない。
デービッド・アウグスバーガー氏は言う。
赦しとは、悔い改めが真実であり、正しい関係が回復し、成就することを、互いに認め合うことにほかならない。赦しは痛みのできごとを否定するのではない。会話を避けることではない。何もなかったようなふりをすることでもない。現実に存在した悪を見逃す寛大さではない。困難な道をたどるのを避ける弱さではない。また相手のひとよりも高い所にいることを誇示して、不問に付することでもない。悔い改めの会話を進めるという、困難で痛みの多い、リスクに満ちた道を一緒に歩くことである。
赦しは一つの行為ではなくむしろ過程である。単独の折衝ではなく一連の段階である。一回限りの全面解決といった単純な赦しの理解には注意しなければならない。即席の解決は赦しであるよりはむしろ問題からの逃避、問題の否定にすぎないことが多い。赦しには時間がかかる。自分の様々な感情を点検し、痛みと怒りに注意を払い、相手の見方を理解しようとするための時間が必要なのだ。そのようにして痛みが解決し、未来が再び開くことになる。
イエス様は命という最大のリスクを取ってでも、あなたを赦し、あなたとともに生きることを決断された。あなたの未来を開くため、神様の恵みに導くために。私達はこのイエス様が開かれた新しい未来への道をイエス様と歩ませていただこう。その中であなたの困難もイエス様が一緒に導き切り開かれる。赦せない状況も変えてくださる。私達の心を癒やしつつ…
