あるアメリカの主婦と青年たちの話 | とある働き人の聖書のお話

とある働き人の聖書のお話

東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

これはアメリカでの出来事です。

あるひとりの中年の主婦が、ス-パ-で買い物を済ませて、駐車場に止めてあった自分の車に帰ってきました。すると、なんと4人の若者がその婦人の車に乗り込んで、今にも走り出しそうだったのです。彼女はびっくりしたのです。買ったばかりの新車で、ロ-ンも終わっていないのです。抱えていた荷物を放り出して、急いで走っていって、その車の前に立ちふさがったのです。

 

そして、バックから護身用の銃を取り出して、「あんたたち。何してんの。早く降りなさい」と叫んだのです。すると乗っていた十代の若者が、クモの子を散らすようにぱ-っと逃げて行きました。ほっとした婦人は、荷物を集めて、車の後部座席に置き、運転席に座って、「やれやれ」とキ-を差し込もうとしました。ところが入りません。ふと隣りを見ると、何と同じ車があるのです。その時にようやく、彼女は気がついたのです。自分がとんでもないカ-ジャックをしてしまったということに。

 

何という勘違いでしょうか。犯罪です。すぐ近くの警察に自首しました。するとそこに、「変なおばさんが俺たちの車を盗んだ」と、4人の若者が訴えに来ていたのです。事情を説明して許してもらったのだそうですが、このような勘違いは、私たちの人生にいつでも起こることです。

例えばある人は、人生は自分のものだと思っています。しかし聖書を開いて私たちは悟ります。

 

それは私の人生ではなく、神が私に与えて下さった人生だということを。私たちの人生には、さまざまな問題が起こります。ある人々はその問題の解決のために合わないキ-、違う鍵を差し込んでいるのです。「自分中心」という鍵です。私たちの人生は神から与えられたものですから、イエスという鍵を差し込まない限りは、物事が解決の方向に進んで行かないのです。

 

ーキリストを宣べ伝えるー 安食弘幸 著

 

昨日の投稿(1つ↓)ではないですが、私たちはこれが義だ、と鍵を、剣を振り回す。

しかし本当にいのちに導くのはイエス様。イエス様の命がけの愛。

イエス様はあなたを友と呼び、鍵を預けられた。この鍵を持って、イエス様に祈る時、御心が豊かに溢れる。あなたはなんの鍵を持っていますか?