ー驚くべき友がいるー | とある働き人の聖書のお話

とある働き人の聖書のお話

東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

「こうして、ソロモン王は全イスラエルの王となった。彼の高官たちは次のとおり。ツァドクの子アザルヤは祭司。シシャの子らエリホレフとアヒヤは書記。アヒルデの子ヨシャパテは参議。エホヤダの子ベナヤは軍団長。ツァドクとエブヤタルは祭司。ナタンの子アザルヤは政務長官。ナタンの子ザブデは祭司で、王の友。アヒシャルは宮内長官。アブダの子アドニラムは役務長官。ソロモンは、イスラエルの全土に十二人の守護を置いた。彼らは王とその一族に食糧を納めていた。すなわち、一年に一か月間、おのおの食糧を納めていた。彼らの名は次のとおり。エフライムの山地にはフルの子。マカツ、シャアルビム、ベテ・シェメシュ、エロン・ベテ・ハナンにはデケルの子。アルボテにはヘセデの子。―彼にはソコとヘフェルの全地が任せられていた―ドルの全高地にはアビナダブの子。―ソロモンの娘タファテが彼の妻であった―タナク、メギド、それに、イズレエルの下ツァレタンのそばのベテ・シェアンの全土、ベテ・シェアンからアベル・メホラ、ヨクモアムの向こうまでの地には、アヒルデの子バアナ。ラモテ・ギルアデにはゲベルの子。―彼にはギルアデのマナセの子ヤイルの村々と、バシャンにあるアルゴブの地域で、城壁と青銅のかんぬきを備えた六十の大きな町々が任せられた―マハナイムにはイドの子アヒナダブ。ナフタリにはアヒマアツ。―彼もまた、ソロモンの娘バセマテをめとっていた―アシェルとベアロテにはフシャイの子バアナ。イッサカルにはパルアハの子ヨシャパテ。ベニヤミンにはエラの子シムイ。エモリ人の王シホンと、バシャンの王オグの領地であったギルアデの地にはウリの子ゲベル。その地にはもうひとりの守備隊長がいた。ユダとイスラエルの人口は、海辺の砂のように多くなり、彼らは飲み食いして楽しんでいた。」

Ⅰ列王記4章1−20節

 

配慮の行き届いた関係っていいですよね。ぎすぎすしていない、というか。息苦しさがある意味でない。でも、逆にある程度の秩序がなければそれはそれで平和話し得ない。この両者は、真の神様から与えられる。神様の配慮は行き届き、その統治は完璧。だからこそ私達はいつでもこの神様に知恵を求め、御心を求め、従い、歩もう。

 

さて、↑は古代イスラエル王国3代目の王ソロモンの治世の出来事。ソロモンは王となり、神様から知恵を頂く(本当の知恵はこれまで見てきたように、神様ご自身を求めること、人の頭が良くなる、ということではなく、神様が命へ導く知恵を与えてくださる、教えてくださる)と、さっそく国の当地のため、いわゆる組閣を細かく行っていきます。

 

ダビデの時代は戦いが多かったのですが、この時代は国の内側を固めていく、そのために必要な人たちを配置していきます。今日はソロモンのきれいな部分、明日の後半の組閣は世俗的なものだな、という組閣になっていきます。

 

誰それ?と思いたくなる人達が沢山↑に出てきますが、正直私もこの人はこういう人、と全部上げることはできないほどあまり名前が知られていない。ただ、世の中もそうですが、有名人であれば成功する、なんとかなる、というわけではありません。そこに必要な人をきちんと配置していく。ソロモンの治世前半は平和そのもの。その中で、平和を維持していくために本当に必要な人を配置していく、それが大事なのです。

 

私達の生活もそうですよね。この部分はまあ適当でいいや、というわけには行かない。そこを何かしらの形で突かれたらもろくも崩れ去る。そういう意味で、私たちは神様から与えられた命、役割、遣わされた場所を守るため、神様のみ心がなることを願い、いつも神様に知恵を求めていくべきではないだろうか。

 

それは↑であまり名前の知れていない人が当たられて、これで大丈夫?と思いたくなるような、神様の知恵かもしれない。でも神様が、私たちの必要を満たされ、私たちをご当地し、ソロモン=平和、のように、あなたのうちに平和を成し遂げてくださるのです。私が物事を鎮圧するのではない、安定させるのではない、不安定なときであろうと、神様が私たちのうちに共に、平和を成し遂げる。平定、安定を与えてくださるのです。神様が、あなたを支えてくださるのです。

 

ちなみに、↑が名前ばかりで分かりづらいので、役職だけ取り出してみると、書記が2人、 参議が1人、 軍団長が1人.祭司が4人、政務長官が1人、宮内長官が1人、役務長官が1人、役職としての友が1人、その役割が与えられていました。

 

それで、この12人の高官たち(官僚)の下に、さらに多くの官僚たちがいて、12人の知事たちが、ソロモンたちを経済的に支えていた形になりました。一見政治的だな、と思いたくなるのですが、考えてみればイスラエルの役割は、イスラエルが神様から祝福されることによって、その祝福を今度は与えられたものを持って、世に流れ出るように、その祝福が広がっていくように、という役割があった。

 

だから、確かに納税的なものはある、でもソロモンが正しくそれをつかっているうちは、↑の一番最後にあるように、「ユダとイスラエルの人口は、海辺の砂のように多くなり、彼らは飲み食いして楽しんでいた」。まさに神様がイスラエルの父祖アブラハムに約束されたように海辺の砂のように人は多くなり、楽しむこととなります。ただ、残念ながらソロモンは後には自分の豪邸を建てるために、国民に重税を課し、奴隷のようにし、民を苦しめる形となります。それが後に王国を分裂させていくこととなるのですが、それはまた後の章で。

 

神様は、ソロモンに必要な人物を備え、または位置してくださったように、私たちには目に見えない多くの祝福をもって私たちを、支配・押さえつけるのではなく、支えてくださっている。1年の1ヶ月分どころじゃない、上げたらきりがないほどに毎日神様は私たちにその見てを伸ばされ、助け、養い、導いてくださっている。これを↑の箇所で忘れてはいけない。私たちが神様から恵みを搾取するのではない、神様などいらない、もっと他のものに頼る、などと言って。

 

むしろ私たちはこの神様の恵みにあって生かされ、養われているということを忘れてはいけない。そしてこの頂いた愛を受け取る時、私たちは喜び楽しみ、それは星のように、海の砂のように広がっていく。あなたが遣わされた場所、置かれた場所において神様の大いなる恵みが、祝福が、命が溢れ広がっていくのです。

 

↑をよく見ると「ナタンの子ザブデは祭司で、王の友」と、面白い記録がありますね。王の友。ちなみにナタンはダビデが不倫・隠蔽殺人を犯した時に進言、悔い改めに導いた人です。しかし決してダビデを見捨てなかったし、その息子も、どうせソロモンも、と見捨てることなく、友となった。

 

神様は、あなたという人を支えるため、私たちの友となってくださったのです。罪人の友と。あなたを喜び楽しませるため、御子イエス様を神であられるのに人として生まれさせてくださり、私たちの間に住まわれたのです。本来仕えられるはずのイエス様がむしろ私たち人間に仕えてくださり、その愛を、1/10どころの騒ぎではなく、惜しむことなく与えられた。最後はあなたに平和を、喜びを満たすため、あなたを罪から、サタンの手から守るべく、救うべく、私たちの罪を身代わりに背負われ十字架にかかられ、死なれたのです。そして3日目によみがえられたことによって、イエス様の十字架の前に悔い改め立ち返るすべての人の罪を許し、神様のことしての特権が与えられるのです。

 

このイエス様の命にあって和解されて築き上げられるこの関係にあって、私たちの内に神様の平和が、御心がなる、喜びが海の砂のように増え、また広がり、喜び楽しませてくださる。神様は、あなたのすべてのところにおいて、その御心を注がれ養い導かれる。あなたの友として。命をかけるほどまでに愛されるイエス様が。どんな時も。だからこそ私たちも神様から離れることなく、神様から与えられる一つ一つの恵みに信頼し、従い、歩もうではありませんか。