―不安になろうとも、人の手によらない栄光を待ち望む― | とある働き人の聖書のお話

とある働き人の聖書のお話

東京で牧師をしておりました。
7年前子供が小学生に上がるまで離れていましたがぴったりの時に新しい働き(子ども関係)に招かれ、伝道させていただいています。

「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

「ベルシャツァル王の治世の第三年、初めに私に幻が現われて後、私、ダニエルにまた、一つの幻が現われた。私は一つの幻を見たが、見ていると、私がエラム州にあるシュシャンの城にいた。なお幻を見ていると、私はウライ川のほとりにいた。私が目を上げて見ると、なんと一頭の雄羊が川岸に立っていた。それには二本の角があって、この二本の角は長かったが、一つはほかの角よりも長かった。…私、ダニエルは、この幻を見ていて、その意味を悟りたいと願っていた。ちょうどそのとき、人間のように見える者が私の前に立った。私は、ウライ川の中ほどから、『ガブリエルよ。この人に、その幻を悟らせよ』と呼びかけて言っている人の声を聞いた。彼は私の立っている所に来た。彼が来たとき、私は恐れて、ひれ伏した。すると彼は私に言った。『悟れ。人の子よ。その幻は、終わりの時のことである。』彼が私に語りかけたとき、私は意識を失って、地に倒れた。しかし、彼は私に手をかけて、その場に立ち上がらせ、そして言った。『見よ。私は、終わりの憤りの時に起こることを、あなたに知らせる。それは、終わりの定めの時にかかわるからだ。あなたが見た雄羊の持つあの二本の角は、メディヤとペルシヤの王である。毛深い雄やぎはギリシヤの王であって、その目と目の間にある大きな角は、その第一の王である。その角が折れて、代わりに四本の角が生えたが、それは、その国から四つの国が起こることである。しかし、第一の王のような勢力はない。彼らの治世の終わりに、彼らのそむきが窮まるとき、横柄で狡猾なひとりの王が立つ。彼の力は強くなるが、彼自身の力によるのではない。彼は、あきれ果てるような破壊を行ない、事をなして成功し、有力者たちと聖徒の民を滅ぼす。彼は悪巧みによって欺きをその手で成功させ、心は高ぶり、不意に多くの人を滅ぼし、君の君に向かって立ち上がる。しかし、人手によらずに、彼は砕かれる。先に告げられた夕と朝の幻、それは真実である。しかし、あなたはこの幻を秘めておけ。これはまだ、多くの日の後のことだから。』…しかし、私はこの幻のことで、驚きすくんでいた。それを悟れなかったのである。」

ダニエル書8章1-27節

 

信仰、信仰、信仰。信仰があれば山をも動かし海に入れられる、とイエス様がおっしゃられたことがある。でも、それは、「自力の信仰」ではなく、「神様の与えて下さる希望が」私たちを奮い立たせ、強められる。それだけの「神様の愛」をあなたに神様はどんな時でも現される。だから私たちはこの神様に信頼し歩もう。

 

さて、↑はまたも預言。イスラエルがバビロンに捕らえられ、そのバビロンが末期状態になった、ベルシャツァルの時代に神様が、この中枢で仕えていたイスラエル人、ダニエルに見せた幻です。

 

そもそも、捕囚先で、捕囚民を中枢に据える、しかも、80歳になってもなお用いられ続けている、それだけでもすごい、神様の御手の中に全てが動かされているのが見えますよね。この時、ダニエルは80歳くらいだそうです。イスラエルはそもそも捕囚という絶望下にある、でも、神様はあり得ないことをいつもなされる。神様が希望を置かれる。これを私たちは忘れてはいけない。

 

話を戻して、2番目の幻。あまりに細かく、ちょっと聖書を読んだことがある人もない人もわけがわからなくなるので、↑の後半、ガブリエルのが解き明かした内容をもとに幻を見ますね。それにしても天使を遣わされた。ダニエルも人間。神様は、私たちの傍にいつも助けを置かれている。イスラエルにダニエルを置いたように神様は私たちの傍らにおられる。今から約2000年ほど前のローマ帝国時代には、神の御子イエス様が、その後は聖霊様という助け主が今も働かれている。神様は遠くない、近くにおられる。自分たちで神様を遠ざけていませんか?と、こんな問いかけをしている私も耳が痛いのですが。

 

で、その幻は正直、クリスチャンでも、神様を信じている人にとってもとても厳しい内容。↑の時代では、アンティオコス・エピファネスという、歴史上にも登場する最悪の王、シリヤの王がイスラエルを迫害していきます。

 

歴史を見ると、B.C.175年にアンティオコス・エピファネスは裏切りによってシリアの王位を手に入れます。その後彼はB.C.168に再度エジプトに侵入した際、ローマの艦隊の介入により、撤退。エピファネスは腹いせにエルサレムに戻り、その城壁をこわして家々に火を放ちました。また8万のユダヤ人を殺し、4万人を捕囚とし、さらに4万人の女・子どもを奴隷として売り払いました。なんと恐ろしい。神様の民がどうしてこんな苦しみに?

 

さらに彼は反抗するユダヤ人を徹底的に弾圧し、ユダヤ人の神殿での犠牲の奉献や安息日の遵守、割礼の執行や律法の書の所持などの行為のすべてを禁止しました。そしてこれらの命令に背く者に対しては殺していった。しかもエピファネスは、エルサレム神殿にギリシャの主神であるゼウスを祭り、それを聖なる神殿に置いて礼拝するよう強要したのです。こうしたことから、彼は、神聖なユダヤの神殿を無残にも踏みにじり、破壊の限りをありとあらゆる形で行っていった。

 

ただ、預言で2300日の猶予がある、とあるのですが、マカベヤ家という祭司一族が彼らを打ち倒すのでした。歴史上では、2300日後のBC165年12月25日に独立を勝ち取り、神殿を奪還したそうです。

 

ただ、この「猶予」という言葉に示されるように、終わりの時、この獣たちは、サタンは私たちを狙い、あの手この手と手を変え、姿を変え襲ってくる。今の時代だってそうでしょう?私も40ですが、バブル、崩壊、テロ、リーマンショック、震災、疫病…一体どれだけ私たちは苦しむんだろう、と思う。終わりの時には、反キリストが恐るべきことに、アンティオコス・エピファネスがした以上に、サタンを内住させて、「われこそキリストなり」と宣言し、惑わし、逆らう者たちを殺す。とんでもない時代が来る。

 

しかし、必ず私たちは勝利する。最後にはもう一度イエス様がやってこられ、これを打ち倒し、新天新地を建て、もはや涙も痛みも何もない、栄光の国が建つ。ここに希望がある。今はまだ終わり時が来ていないけど多くの戦いはある。でもただ一ついえるのは、これまで見てきたように、ダニエルの傍に御使いガブリエルを送ったように、神様はあなたの傍におられ、↑の最後の方にもありますが、「人の手によらない」勝利、希望が私たちを覆う。助けてくださる。

 

ここに希望がある。人間の手には負えないかもしれない。信仰によって山は動くけど、動かすのは神様です。あらかじめこの預言が示された。それは脅かすためじゃない、私たちのこのどうにもならない事実を動かすため、救いの道を備えられたのです。こういうことがある、でも、同時に人の手によらない神様の計画が。

 

神様がまず私たちを愛し、私たちをこの状況に放置し、サタンの支配下から取り戻すべく、罪の支配下から取り戻すべく、御子イエス様を遣わされた。神の御子が人となってこられ、その愛を現し、人と同じ重荷を背負われたのです。そして、それだけではない、私たちの罪を身代りに背負われ十字架にかかられ死なれた。

 

でも死で終わらず3日目によみがえられ、イエス様の前に悔い改め信じるすべての人の罪を赦し、神様の子としてくださった。和解させてくださったのです。人の手によらない神様の愛が、御心が、あなたの内に現される。この希望はどんなに私たちを打ち倒そうとしても砕くことはできません。どんな苦難の中にあっても神様の、「人の手によらない勝利」これを私たちは見るのです。